73年にチェーン展開を開始して以降、吉野家は急激に店舗数を増やしてきた。71年、安部社長が吉野家でアルバイトを始めた頃は、まだ5店舗目を開店したばかりだったが、77年には国内100店舗を突破、78年には200店舗突破と、まさに破竹の勢いだった。

当時の吉野家の店舗拡大の手法は、専ら借地とリースによって出店するというものだった。不動産価格の上昇を見込んで土地を購入し、値上がりした土地を担保に新たな融資を受けて次の土地を購入するという、当時、多くのチェーン店が採用していた手法を吉野家はとらなかった。言い換えれば、固定資産の取得をほとんどしなかったわけで、このことをもって、吉野家はバランスシートの軽い経営を志向してきたと見る向きがある。

「それは昔の話でね、当時は自己資金も担保資産もなかったから、借り入れをして、すべて借地とリースでいくという、出資がいらない出店方法をとっていたわけです。自己資本がないからそうしたまでで、いまは、土地も建物も所有していますよ。ただ、積極的に土地建物に投資するスタンスがないのは事実。不動産はあくまでも営業絡みで取得しています」

つまり吉野家にとって、土地建物はあくまでも“商売をやる場”なのであり、営業外収益を生み出すものとして認識していないのだ。まっとうといえば、あまりにもまっとうな考え方だ。さらに、会社更生法申請以降の出店基準には、異様に高いハードルが設けられている。

「倒産後、出店基準をROI(投下資本利益率)20%以上、営業利益率10%以上と定めたわけですが、この基準はいまでも変えていません。言い換えれば、営業キャッシュフロー重視の経営を志向しているということです」