リーダーにはカリスマ性が必要ですか。
この件については昔から議論されていますが、非常に重要な問題です。私も講演先でこの手の質問をよく受けますが、質問者はたいてい切実な思いを抱えています。こういう質問をする人は、通常、人柄だけで早く出世していると陰口をたたかれてきた人か、逆に「華がない」がために出世が遅れているとされている人ですから。
あなたの場合はそのどちらでもないかもしれませんね。実際、この質問は多くの人の関心をそそります。それはおそらくリーダーになったことがある人や、リーダーのために働いたことのある人なら誰でも、カリスマ性がキャリアの成功に「いくらかの」役割を果たすことを知っているからでしょう。
いくらか、というのはどのくらいか。答えは「途方もなく大きな」です。カリスマ性は仕事を片付けるためには絶対に欠かすことのできないものです。
もちろん、ここで言っているのは「悪しき」カリスマ性のことではありません。悪しきカリスマ性とは、知性もビジョンも高潔さも伴わないものです。そのようなカリスマ性は役に立ちませんし、危険ですらあります。
ビジネスの世界では、人柄は一流でも知性は一流とはいいがたい人物を「空っぽのスーツ(格好だけで中身のない人)」と呼びます。こうした人たちの多くが出世して幹部になり、ときにはCEOにまでなることもあります。彼らは2~3年はすごいことをやりそうに見えるのですが、結局は何もできずに自滅します。
歴史を振り返ると、カリスマ性のあるリーダーがその邪悪な権力で破壊をもたらした例が山ほどあります。今日の世界においても、この分類にあてはまるリーダーが間違いなくいます。
しかし、よいリーダー、つまり高潔さと知性を持つリーダーの場合は、カリスマ性があれば仕事が断然やりやすくなります。
指揮しているチームや部門、会社の規模がどうあれ、リーダーは部下に活力を吹き込まなければなりません。そして最近では、この仕事はこれまで以上に重要になっています。
グローバル市場の熾烈な競争のために、企業は次から次へと「乗り越えがたい山」にぶつかります。リーダーは、部下にそれを乗り越えさせなければなりません。たゆみない変革がなぜ必要なのかを、それが会社や彼ら自身にどんな利益をもたらすのかを情熱的に説き聞かせることによって、理解させなければならないのです。
これらはみなカリスマ性がなくても、緻密で理路整然とした説明をすればできることですが、それは時間がかかります。
もちろん、カリスマ性がなくても成功しているリーダーはいます。前FRB議長のアラン・グリーンスパンは、その深く鋭い論法で多くの信奉者を得ています。でも、彼のようなケースはきわめて珍しい。
一般的に見られるのは、頭のよい有能な人たちが、人心をつかむ天性の能力がないために頭打ちになった例です。そう、「天性の」です。カリスマ性は好むと好まざるとにかかわらず生まれつきのようです。訓練で本当に身につくものではないのです。
では、カリスマ性のない人はどうすればよいのでしょう。
その人たちはけっしてリーダー・コースからはずれてしまっているわけではありません。より時間のかかる、より難しい車線にいるだけです。ですから、ぜひともリーダーになりたいと思っているのなら、カリスマ性がないからといって諦めないでください。