1980年代後半、高齢化を反映して「ケア関連職種」が急増した

1980年代後半からはバブルの時代である。レンタル店などバブル経済と関連するとも思われるサービス職が増えてくる。しかし、これを上回ってケア関連のサービス職が増えてくる。

ここでケアとは保育、医療、介護、癒しなどを広く意味している。高齢者の急増を背景に、社会福祉に関し、専門・技術職というより末端を支えるサービス職の大量需要が発生するのである。ここで専門・技術職とサービス職の区分は、高度の専門性・技能・訓練の有無によるものとされている(ただ、栄養士が前者、調理師が後者に属するものとされているように社会通念に影響されているところもある区分である)。

写真=iStock.com/SetsukoN
※写真はイメージです

1990年代以降は「ケアの時代」が本格化した時期であり、当初は、施設福祉の職員、その後、在宅介護のホームヘルパーの大量需要といずれもサービス職の躍進が目立ち、その後、2000年代後半からは、ケアマネジャーなど社会福祉分野の専門・技術職へと重点がシフトした。ケア関連職業は躍進職業の先頭に長らく立ち続けている。

社会的に重要性が増していても、確立した職業として認められるまでに時間がかかり、職業分類上、長らく「その他」に区分され続けることがある。

ホームヘルパーや施設の介護職は、現在はともに職業中分類では「介護サービス職」とされ、小分類でそれぞれが独立して区分されているが、こうなったのは2010年の国勢調査からであり、両者とも長い間中分類「その他のサービス職」の小分類「他に分類されないサービス職」の一部とされていた。

00年になってようやくホームヘルパーは中分類「家庭生活支援サービス職」の下の小分類として独立、施設の介護職の中分類は「その他のサービス職」と変わらないが、その下での小分類として独立したのである。

ドラマ「北の国から」に見るケアの時代の人々の人生観

経済発展への寄与、あるいは世帯の所得向上が重要と考えられていた時代から、社会福祉や思いやりの精神が重視される時代へとシフトが起こった。

2002年の9月に放映された「北の国から」の最終回で、純(吉岡秀隆)は、近くに住む恩人への借金返済を滞らせたため、親元である五郎(田中邦衛)の所に帰れなくなっていたのだが、老人となったこの恩人宅をたまたま訪れることになった。純は、からだが不自由となっていたこの老人に対する下の世話まで含めたケアの継続を決意したとき「どうしようもなく熱いものが、ぼくの心をつきあげ」、これをきっかけに人生に対して前向きになり故郷で身を固めることになった。このドラマは人生の目標を「豊かさ」というより「ケア」におこうとする新しい時代精神を示していたと思う。