奈良を俯瞰し古(いにしえ)に思いを馳せる
――新元号「令和」は、九州・大宰府の梅花の歌の序文からとられたが、『万葉集』といえばゆかりの地は古都・奈良だ。
『万葉集』で歌われる地名は全国に散らばっているが、大和(現在の奈良県)の地名は約300。摂津や河内など大和周辺の地名も300を超える。
『万葉集』を片手に、奈良を楽しむには、どのようにするのが一番いいか。上野教授の回答は明快だ。
私は、奈良案内を頼まれると必ず最初に若草山の山頂か東大寺の二月堂のどちらかにお連れして、高いところから奈良の街を眺めていただくようにしています。
それは、最初に“旅人”として奈良の街を俯瞰してほしいからです。なぜならば、見渡すことによって大きく街を捉えることができるから。つまり、そのスケールを実感してほしいと思うからです。そして、こんなふうに解説を行います。
「今、私たちが立っているのは平城京の東の壁にあたります。つまり平城京を東から西へと眺めているわけです。正面にあたる西に高い山が見えますね。テレビ塔がいっぱい立っている山、あれが生駒山で、西の壁だと考えてください。平城京は東の壁・若草山、春日山と西の壁・生駒山に守られているのです。これらの山々はいずれも“大和青垣”のひとつです」
「奈良盆地は四方を山で囲まれており、その山地は昔から青垣山と呼ばれてきました。青垣とは、“青い垣根”のこと。万葉びとは、自分たちが生活をする盆地の四方を、山々が守ってくれていると考えていました。
だから、奈良を旅するときは、若草山、春日山の東の青垣と、生駒山の西の青垣の形をまずはじめに覚えてください。そうすると東西の軸がわかりますから、方角を誤りません。これで道に迷わなくなります」
そして、生駒山を背景として、ほぼ正面のやや北あたり、ぽっかりと空いた場所を指さします。そのあたりに大極殿の正殿があります。そここそが、奈良時代の皇居、すなわち平城宮です。若草山の山頂か東大寺の二月堂から見える北側地域の大部分を平城京と考えてよいでしょう。平城宮が皇居なら、平城京は東京都にあたります。ここまでお伝えしたうえで、見える範囲の寺々を説明していきます。
説明の後には、目を瞑って平城京に想いをはせてほしい、とお願いしています。
これが、上野流の奈良案内です。