※本稿は、西村克己『論理思考大全』(PHPエディターズ・グループ)の一部を再編集したものです。
「論理的」なことは、誰も否定できない
「論理的」と「理屈っぽい」が混同されていることが意外に多いようです。論理的と理屈っぽいは、どちらとも筋道が立っていることですが、決定的な違いがあります。論理的とは、第三者である聞き手や読み手にとって、「客観的に筋道が立っていること」です。
一方、理屈っぽいとは、「自己満足的に筋道が立っていること」です。話し手や書き手の頭の中では話がつながっていても、都合がいい話だけを並べていることが多いのです。聞き手や読み手にとっては、屁理屈を並べているだけで、筋道が立っていないと感じられます。たとえば、話し手にとって、都合がいい理由しか並べていないとき、聞き手は話し手を「理屈っぽい」と感じます。
論理的であるためには客観性が重要です。客観的とは、誰もが否定できないことです。1人よがりでは、主観的になってしまいます。相手をきちんと「説得」することが求められる場合、論理的であることが不可欠です。話し手や書き手が「信用できない理由」「都合がいい話」だけを並べても、聞き手や読み手を説得することはできないでしょう。