なぜか。目先のことにとらわれ、日本の将来を考える英雄がいなくなったことが1つ。もう1つ、これは日本人の性格そのもので、国民が街づくりのような、個を超えた大事業に夢を抱いたり希求してこなかったことがある。

たとえば東京都は、美濃部亮吉・都政時代の悪法である日照権条例(1978年)を、いまだ克服できていない。

そもそも都市開発で建物をつくり替えるときには高層化するものだ。当然、隣は陰になるわけで、日照権がある限り、つくり替えができなくなる。全部の建て替えが済んだら皆、日が当たるようになるが、途中、来る日も来る日も日照権を主張されたら何もできない。

日照権が大手を振ってまかり通るのは日本ぐらいのものだが、もし真のリーダーが出てきたら、安全・安心な街をつくるため、日照権を20年棚上げさせてくれと言うだろう。

ところがそうなると、これまた日本人の得意技で「ウチは嫌だ」とゴネ得しようという輩が出てくる。信長や秀吉の時代なら刀にものを言わせて許さなかっただろうが、現代日本では誰かがゴネると物事は一歩も先に進まない。

幸い2002年に都市再生法という法律が施行され、51%の住民が賛成すれば再生・再開発が可能になるなど、都市計画は迅速に進められるように法整備された。

ところが、この法律を適用する勇気を持った政治家がいない。役人は揉めるのも責任を取らされるのも嫌だから及び腰になる。誰が責任を取り切れるのかといえば、政治家しかいないのだ。政治家がビジョンを住民に提示し、日本の将来を考えたときに国民の安全・安心のために絶対に必要なことなのだと夢を持って語り、粘り強く説得しなければいけない。

日本の景気対策がなぜ地方にばかりいくかといえば、用地買収が楽だから。買収に手間がかからないから、人がいないところに道路をつくり、橋を架けたがる。緊急経済対策と称して税金を無駄遣いする工事ばかりやってきた。「緊急対策」では都市再生はできない。長期構想が不可欠だからだ。

道路建設を正当化するために20年まで交通量は増え続けると言い続けてきた国土交通省が、道路特定財源をめぐる国会審議の中で交通量が今後は減少に転じるという将来予測を初めて公表した。今さらながら呆れるが、そもそも人のいないところに道路をつくってきたのが問題なのであって、東京や大阪などの都市部にはニーズはまだまだある。

過去30年、人のいないところに金をバラ撒いてきたのだから、今度は人のいるところに金をかけるべきだ。安全・安心という国民の暮らしの基本部分に金を振り向けて、21世紀に世界に誇れる都市をつくっていく。東京が頑張れば大阪も頑張る、名古屋も頑張るという連鎖反応が起きれば、日本中が元気になる。