ファストビューティー大国の日本

いつまでも若くて健康で美しくありたいという不老不死は太古の昔から人類の望みだったが、長い間皇帝のような特権階級しか追究できなかった。しかし科学技術と社会の発展により1980年代頃から若さと健康の美は人々の手が届くものになり始め、21世紀を迎える頃から急激に市場を拡大している。折しも日本は急速な高齢化と経済大国になった後の成熟期を迎えていたこともあり、すぐにファストビューティー大国の1つに押し上げられた。

近年平均寿命と健康寿命の差が広く知られるようになり、生涯歩けるくらい元気でいるためのアンチエイジングの研究や情報の普及が盛んだ。こうした健康面でのアンチエイジングはQOLの向上に直結するのでたいへん結構なことだ。しかしアンチエイジングを美容で追究するファストビューティーは結構なことばかりとは言えない。

問題の1つは格差社会が外見と直結する点だ。資金力のある人は美容にお金がかけられるだけでなく高度な教育も受けており、必要な情報や有効な情報・最先端の情報を取捨選択するのに有利な立場ゆえいつまでも若く美しくいられる。しかしその反対の人はどうだろう。

「画一性」が生み出す社会の閉塞感

さらにそれ以上に問題なのはファストビューティーの画一性だ。みなが認める価値に留まり続けることに疲れたら、あるいは別の価値観を求めたくなったら、本人にとっては不本意でも社会的価値に反する生き方を迫られることになってしまう。外見表現の画一性は生き方の自由をも制限する可能性があり、それゆえ社会の閉塞感に結びつく。

そもそもみなが認める表現でない表現を始めるのは勇気がいることだろう。誰も認めてくれないかもしれないのに、それでも「これが私だ」と押し切って実行できる人はどのくらいいるだろうか。もし実行できたとしてもその次にいじめや村八分のように社会集団から排除される可能性が立ちはだかる。家族や友達など身近で大切な人に反対されたり反発されたりして大切な人間関係を失ってしまう可能性もある。

1920年代に世界の歴史上初めてパリから女性のショートヘアが流行し始めた頃、映画を通じて知った大正時代の日本女性の中にいち早くショートボブにした人がいた。その中には、ショートヘアにしたことを理由に親から勘当された人がいる。勘当とは親子の縁を切られ生涯親と会えなくなることだ。誰もしていないショートヘアにすることで近所中から好奇な目で見られ、ゴシップ雑誌にありもしない悪い噂話を面白おかしく書きたてられて今でいう「炎上」になったこともある。