私立中学が裕福な家庭に子どもたちに問いかけるもの

わたしは約25年、中学受験を志す小学生たちの指導をおこなっている。受験指導を通じて、子どもたちの熟達を実感できるやりがいのある仕事であると誇りに思っている。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/RichLegg)

一方で、ある種の後ろめたさを抱くこともある。中学受験生の家庭の多くは「富裕層」や「高収入層」であり、わたしが受験指導をおこない名門の私立中高一貫校に送り込むことで、結果的に格差や階層の再生産に手を貸しているような気持ちになることもあるからだ。おそらく私立中高一貫校の教員も同じように感じているだろう。だから、中学入試問題で先述したような貧困や格差をテーマとした出題をするのではないか。

「富裕層」「高収入層」に家庭に生まれ育った中学受験生たちには、社会の中でいろいろな立場に置かれている人間たち、社会の底で苦しんでいる人たちに目配りできる「視野の広さ」を持っていてほしいという願いがそこにあるにちがいない。

恵まれた環境にいるからこそ「社会の底辺」に目配りしてほしい

厚生労働省発表による「子どもの相対的貧困率」(17歳以下の子ども、2015年度)は13.9%に上る。

これは、いまの日本の子どもたちの約7人に1人は貧困状態にあるという衝撃的なデータであり、大人たちのみならず、子どもたちにも決して目をそらさず深く考えてほしい社会問題だ。

実際、わたしが中学受験勉強に励む子どもたちを観察していると、他者をおもんぱかれる言動を取れるタイプの子はおおむね高い国語読解力を有している。なぜなら、物語(小説)をしっかりと読みこなすためには、いまの自分とは異なる「民族」「国籍」「年齢」「性別」「家族構成」「信仰」「生活習慣」などに属する他者(主人公や登場人物)の視座に立つことで、その心情変化などを丁寧に読み解いていく能力が求められるからだ。

もちろん、子どもたちが受験に合格するために、国語読解力を向上させ、広い視野を持つべきなどと即物的な価値観を押し付けたいわけではない。中学受験生たちには自らが「恵まれた環境」に置かれていることを自覚するとともに、日々謙虚に学んでいってほしい。そして、将来的にさまざまな立場、境遇の人たちに目配りできる人間として成長してほしい。わたしが願うのはこういうことだ。