あるいはそこまで歴史を遡らずとも、最近は留学や就職などで海外に出ていく人も増えた。現地で恒久的な仕事に就き、配偶者を得ることや家族を持つことは珍しくない。そして徐々に昇進し、管理職や経営者などになると、立場上、その国の国籍を取得したほうが好ましい場合が多い。そんな必要に迫られて外国籍を取得していく彼らから、日本国籍を取り上げていくというのが現状の制度なのである。

もっとも、現実的には国に申告せず二重国籍生活を送っている人も少なからずいる。仮にある人物がアメリカに帰化申請をしたとしても、それを日本政府に申告する義務はないからだ。アメリカから日本に連絡も行かないし、ばれたところで罰則規定もない。

ただし、大坂選手のような著名人になってくると話は別だ。日本政府も調べるだろうし、そこで二重国籍がわかった場合は無視できなくなる。

ヒューマニズムから生じた日本の国籍法

歴史を紐解くと、日本の国籍法は世界最先端の国籍法として始まった。明治以来、多くのお雇い外国人が日本に来るなか、1899年につくられたのが、日本の最初の国籍法である。そこでは日本人男性の妻となる外国人女性は日本国籍を取得し、外国人男性の妻となる日本人女性は日本国籍を失った。

驚くのは、当時としては極めて先進的な国籍離脱をも認めていたことだ。19世紀末から20世紀初頭は、世界は戦争の時代だった。兵役義務を負う男性に国籍離脱を認めることは軍事機密が漏れる恐れや、兵役逃れが起こる危険性も伴う。そのため、多くの国が国籍離脱を許しておらず、許可を与えたのはおおむね戦後だった。

外国への帰化を認め、夫婦、さらに家族が同じ国籍になる。こうした考え方はナショナリズムではなく、ヒューマニズムから生まれたものだ。たとえば、ドイツ領とフランス領のはざまで常に揺れ動いていたアルザス・ロレーヌ地方などでは、生まれた年によって家族内でフランス国籍やドイツ国籍に分かれるため、戦場では親子兄弟同士で銃口を向けあうといった悲劇が頻発していた。そうした事態を避けるため、人道的配慮から法律が制定されたのだ。また明治政府が文明国として西欧の先進国に劣らないことを示そうと、進んだ法体系を採ったという背景もある。

一方で問題も生まれた。戦後も父系制血統主義(父の国籍を子の国籍とする考え方)を採っていたため、国際結婚した日本人男性の子は日本国籍を取得できるが、国際結婚した日本人女性の子は日本国籍を取得できなかった。これは女性差別だということで1984年に法改正が行われ、両親のどちらかが日本人であるならば子どもも日本国籍を取得できることになった。