今春、国会で道路特定財源が大きな争点となったとき、知事の中で1人、突出して「一般財源化反対」を唱え、自民党の道路族議員や国土交通省道路局の応援団のような役回りを演じた。「踊らされた。国交省と連携する県の土木部に乗せられたのでは」という声も出た。

楠の並木通りに面した宮崎県庁は観光バスでやってくる知事目当ての団体客が記念撮影できるように、正門玄関に東国原の等身大の看板写真がある。その脇を抜けて知事室を訪ねた。まず最初、抱いていた「知事のイメージ」を聞いた。

「『天の声』という言葉があるが、天ってどこなんだ、誰なんだ。そうではない知事像が私の目標。威信、威厳を打ち砕く。天を地に落とす。同じ目線に降ろしてくる。これをやらなければと思った」

だが、トップダウン志向ではない。

「改革者とか革命家と思っているが、自分がリーダーだという意識はない。こう見えても基本的には合議制で、話し合いの中の司会者。権力行使の際も、みなさんの意見を聞いて着地点を目指す」

在任1年7ヵ月を好きなマラソンに譬えて振り返った。

「4年はフルマラソン。6~7分で走り出すのが当たり前だが、いままでと違って、今回は最初からトップスピードでスタートした。マニフェストの数値目標が高かった分、トップスピードで入らないと達成できないものがあった。いま17キロ地点だけど、非常に疲れている」

早大の卒論制作のため選挙カーに乗車

1957(昭和32)年9月生まれで51歳。宮崎県都城市で育った。都城泉ケ丘高で同級生だった谷口俊朗(現黒木商運営業部長)が昔の印象を語る。

「目立っていた。人を笑わせる。親分肌で、体育祭の応援団長もやり、もてた。頭はよかったけど、遊んでばかりで、成績は上ではなかった」

専修大学を出てビートたけしの弟子となる。たけし軍団で「そのまんま東」を名乗り、お笑い芸人で活躍した。他方、「フライデー」襲撃事件や風俗店入店による不祥事に関係し、その都度、謹慎した。2度の結婚・離婚歴もある。