どんな有名経営者でも、「生涯現役」という例はわずかだ。彼らは「退任後」をどう過ごしているのか。高田明氏は、66歳で「ジャパネットたかた」の経営から完全に退いた。そして思わぬ形でJリーグクラブの経営にかかわることになる。その顛末とは――。

「プレジデント」(2018年11月12日号)の特集「金持ち老後ビンボー老後2019」より、記事の一部をお届けします。

予想もしなかった「サッカー経営」

一般論をいえば、心身が健康なら90歳でも会社経営はできます。しかし100年後も続く会社にするには、後継者を育て、いいタイミングでバトンをつないでいかなくてはなりません。私は2015年1月、66歳でジャパネットたかたの社長を退任しました。予定では翌年まで社長を続けるつもりでしたが、副社長だった長男の旭人をはじめ、社員たちの成長を感じたことから、退任を前倒しすることに決めたのです。

ジャパネットたかた創業者 高田 明氏

社長は退くが会長として残る、という道もありました。でも、創業者で世間に顔を知られている私が残っていれば、社員も取引先の方も社長と会長のどちらに顔を向けていいかわからず、やりにくいだろうと考えたのです。新体制となってからもジャパネットの業績は順調で、18年は過去最高の2000億円を超える売り上げを見込んでいるそうです。

実は、社長を退任した時点では次に何をやるかは考えていませんでした。とりあえず仕事の受け皿として個人事務所を設立すると、ありがたいことに講演などのご依頼をいただくようになり、2年ほどは忙しい日々を過ごしました。予想外の話が舞い込んだのは、17年3月のこと。プロサッカーJリーグ2部(J2)のV・ファーレン長崎(V長崎)について、旭人が「力を貸してほしい」といってきたのです。

ジャパネットは地元企業としてこのクラブのメーンスポンサーを務めていましたが、経営にはノータッチでしたから「累積赤字が3億円以上あり、倒産寸前」と聞かされたときは驚きました。しかし応援してくれる人たちや地域の子どもたちの夢を考えると、潰すことはできません。そこでV長崎をジャパネットの完全子会社にして、私が社長に就任し、建て直すことを決めたのです。まさか自分がJリーグのクラブを経営することになるとは、それまで考えたこともなかったのですが……。

私は「過去と他人は変えられないが、自分は変えられる。だから、今目の前のことに一生懸命になるべきだ」と考えています。自分の意思や努力では変えられないことで、くよくよ悩んでも仕方がありません。たとえば米国大統領の発言によって景気が左右されるとして、それを自分でどうにか変えることができるでしょうか? 無理ですよね。ところが多くの人は、自分の力ではコントロールできない未来や、どうやっても変えられない過去について悩みを巡らせます。その無駄な時間をスパッとゼロにして「今、自分が動けば変えられること」に集中する。そうすれば、必ず成果が出るはずです。

ここで大切なのは、ただ生きるのではなく、「今を一生懸命に」生きること。そうすれば、必ず誰かが見てくれているし、仲間が集まります。時には運も味方してくれるかもしれません。たとえばサッカーに一生懸命打ち込んだ選手なら、引退してもクラブの監督やコーチ、解説者として声がかかるでしょう。それはどんな仕事でも同じだと思います。