「街の電気屋さん」を遥かに超えたサービス

高齢世帯に注力した家電製品の販売・アフターサービスを展開するのが、東京都町田市にある「でんかのヤマグチ」だ。

他社で買った商品もアフターケア、電球1個でも配達して交換、ビデオ録画のためだけに出張、冷蔵庫が壊れればクーラーボックスに氷を入れ、エアコンが壊れれば代用の扇風機を持って訪問、という徹底的なサービスで顧客から絶大の信頼を獲得している。それだけではない。およそ家電店とはかけ離れた仕事、例えば水回りの修理、部屋の模様替えの手伝い、駐車場は地域に開放、買い物しない客にもトイレを開放、雨の日の傘の貸し出し、毎月開催される激安野菜販売など、「街の電気屋さん」を遥かに超えたサービスを展開している。いうなれば、地域のファシリティセンター(便利屋さん)のような役割を果たしているのだ。

新井範子・山川悟『応援される会社』(光文社新書)

筆者が訪問した土曜日の午前中には、「8km離れた自宅から店員のYさんにお礼を言いにだけ来た」という80代の男性や、「町田に在住して50年間ずっとヤマグチ」という70代の女性ほか、高齢者の顧客がひっきりなしに店頭を行き来していた。

同社はパナソニック系列店であり、大手家電量販店のような低価格販売を目玉としているわけではない。しかし顧客が求めているのは、安売りとはまるで違った価値である。例えばある男性客が、一人暮らしの母親向けに30万円台のテレビを購入した際、値引きを要求するのではなく「母のことをよろしくお願いします」と伝えたというエピソードがある。彼がヤマグチに求めたのは、購入を契機とした長期的なつながりなのだ。それは「遠くの息子よりも近くのヤマグチ」という顧客の言葉に見事に集約されている。ここでは購入時点の価格の高低ではなく、生涯価値を想定に入れた買い物が行われているのである。

余裕ができても拡大しない理由

これは顧客ひとりひとりの顔、一軒一軒の間取りやレイアウトまで熟知しているからこそ成立するビジネスであろう。同社がチェーン店化し、同レベルのサービスを他の街で展開しようとしても難しいはずだ。もちろん精神論だけでやり遂げられる仕事ではなく、顧客データベースから8000人の優良顧客を導き出し、12人の営業体制で対応できる仕組みを備えている。

同社の理念「ヤマグチの考え」を紹介しよう。「ヤマグチは余裕が出来ても、店を大きくしたり支店を出したりは致しません。なぜなら、ヤマグチを利用して頂いているお客様に十分な安心サービスが出来なくなるからです。これからもヤマグチはパナソニック製品を中心にお客様に喜ばれる家電、住まいのリフォーム、健康商品を販売し、ヤマグチを利用して頂くお客様と私たち自身の為にこれからも汗を流し続けます」。

この他にも、宮城県仙台市郊外の店舗まで遥か遠方から「おはぎ」を買い求めに来る客で絶えない「主婦の店 さいち」や、北海道函館市のソウルフードとしてすっかり定着した感のあるハンバーガーショップ「ラッキーピエロ」、十勝の素材を生かしたお菓子作りで親しまれている「柳月」など、地域ダントツの評価を大切にし、商圏をいたずらに拡張しない方針を貫く企業には学ぶべき点も多い。

時代は変わってもずっとそこにいる

1908年、横浜(現在の桜木町)駅の売店としてスタートした「崎陽軒(きようけん)」は、横浜初の名物食を作りたいという一心から、中華街で突き出しとして出されていた焼売(シュウマイ)に注目。点心の専門家をスカウトして1928年、「冷めてもおいしいシウマイ」を開発する。

シウマイ弁当は1954年から横浜駅構内で販売を開始、崎陽軒のシンボル商品として人気を博し、以降半世紀にわたって横浜名物の座を保ってきた。駅弁市場は縮小しているにもかかわらず、2016年度の売上高は過去最高を示し、一日2万食以上を売り上げている。

このシウマイ弁当、ロングセラー商品として、昔ながらの製法やデザインを固持している。シウマイの材料には、オホーツク産の干しホタテ貝柱を使用、俵型ご飯(小梅、黒胡麻)はモチモチした食感を保つために蒸気炊飯方式で炊き上げたものだ。折り容器は、アカマツやエゾマツなどの天然木を使った経木(きょうぎ)のままで、そのサイズも変えていない。本社工場で製造された弁当は、一箱ずつ手作業で紐が結ばれている。そしてシウマイの箱の中に入る48種類の絵柄を持つ磁器製しょうゆ入れの「ひょうちゃん」もまた、ずっとお馴染みの顔のままだ。