「バブル組」が生き延びた2つの理由

それにしても「バブル当選組」ともいえる彼らが、なぜ政界の荒波の中で生きながらえているのだろうか。政治の世界ではしばしば「バブル組」が誕生する。

例えば2005年、小泉純一郎首相(当時)が仕掛けた「郵政選挙」では自民党は83人もの初当選者が出た。いわゆる「小泉チルドレン」だ。09年の衆院選でも民主党が大量の初当選者を生んだ。当時実力者だった小沢一郎氏の「チルドレン」たちだ。だが小泉チルドレンも、小沢チルドレンも、次の衆院選では大半が一敗地にまみれた。「バブル」は必ず崩壊する。ブームで当選した議員たちは政治家としての実力がなく、支援組織も弱い。当然の成り行きではある。

日本新党組が、しぶとく生き抜いてきた理由は、2つ考えられる。まず「90年代前半」という特殊性だ。当時は派閥単位で覇権を争う自民党政権が長く続いていた。その結果、どれだけ優秀な人材でも、地盤(後援会組織)、看板(知名度)、かばん(カネ)の「3バン」がないと政治家にはなれなかった。政治家の子女か、有力政治家にコネのある人物だけがバッジをつけ、しがらみのない若い人物は入り込む余地はなかった。

そんな状況下で、日本新党が新しい政治を掲げ、「3バン」不要で候補者を募ったため、政治家を志しながら立候補する道を閉ざされていた若くて優秀な人材が多く集まった。

その後、似た理念を掲げる新党がいくつも生まれては消えていったが、次第に「若くて優秀な人材」は底をつき、候補者は劣化していったため、日本新党組のように生きながらえることはできなかった。

ベテランたちも小選挙区は「初心者」だった

2つ目の理由として選挙制度の変更がある。彼らが初当選した93年の衆院選は中選挙区で行われた。その後誕生した細川政権で、選挙制度改革が実現。96年の衆院選からは小選挙区を柱とする小選挙区比例代表並立制になった。

1つの選挙区で3~5人程度が当選する中選挙区と、選挙区で当選者が1人の小選挙区は戦い方が全く違う。中選挙区では有権者の15%から20%を得れば楽々当選できたが、小選挙区では過半数を目指さなければならない。

中選挙区では戦い方を熟知していたベテランたちも小選挙区は「初心者」。93年初当選の日本新党組は、96年の2度目の選挙から、ベテランと対等の立場で戦うことができるようになった。これも日本新党組が生き延びる原因となった。