異常なほどスタッフが少ない理由

スタッフはロケハンには行くが、それは土地勘を掴むためだけ。事前に『家族に乾杯』のロケが来ることが絶対に漏れないように役場の担当者など必要最小限の人にしか伝えない。ロケに密着する僕たち取材班にも直前まで具体的な行き先は秘密だった。移動もいわゆるロケバスではなく、地元の大型タクシーを使う。だから、そのタクシー1台に乗れるだけの必要最小限のスタッフしか帯同しない。ゴールデンタイムの番組として異常なほどスタッフが少ないのだ。

「作ったらアカンのです。見る人には、わかる。“あざとい”と感動できない。面白いものは、後からできあがるんです。段取ったらダメなんですよ」

カメラの撮り方も特殊だ。常にカメラは鶴瓶の後ろを歩く。通常なら主役であるタレントの顔を撮るため、カメラは正面、つまりタレントの前に位置する。だが、この番組は違う。なぜなら主役は地元の人だからだ。そして、その自然な表情を捉えるため、相手が鶴瓶だと認識するまで、カメラはできるだけ離れ、引いているのだ。

今でも、鶴瓶はロケに出る前、「うまくいってくれ!」と祈るのだという。「いい人と出会えますように」と。

その祈りが通じるのか、番組ではほとんど毎回、奇跡のような出会いに遭遇する。

「自分の人生は奇跡のような出会いに恵まれているなと思うんですよ。それを導くのは、偶然という機会でね、あれは何も決めないからいいんです」

「人間というのは、本当はみんな誰しも面白い」

けれど、そんな出会いを奇跡にするのは、祈りや偶然だけではない。鶴瓶の聞き手、取材者としての眼差しだ。

「何かあると思って聞くんではなく、“何もない”と思って聞くんです。人間って、みんな面白いんですよ。無理に面白くしようとしない。僕は、聞き方が上手なわけでもないんですよ。自分が楽しんでいるだけ。ただ、まずは人を好きにならないといけないですよね。嫌いになったりしたら、自分が煩わしいだけやないですか。面白さも、人を受け入れるところから生まれるんです」

実際にロケを見ていて感じたのは、鶴瓶の面白い人を察知する能力の高さと根気強さだ。ひとたび面白そうな人だと感じたら、正直言って何を言っているか要領を得ない人に対しても鶴瓶は丁寧に話を聞いていく。

「いかに待つかですよ。その人の人間性が全体で分かるぐらいに待つかですよね。こっちが『こういうこと言うてはんねんな』ってテレビ見てる人に説明する必要はないんです。テレビ見てる人と俺が同時にその人を理解するぐらいの気持ちでいないと」

その根底には、鶴瓶が信じる哲学がある。

「人間というのは、本当はみんな誰しも面白い」

そして、「実際に起きたこと、今起きたことが一番面白い」。

有名でない人、何かを成し遂げたわけではない人。町にいる市井の人々にどうスポットをあてていくのか。そこに隠された面白みを見つけ、広げていくことに関して、鶴瓶の右に出る者はそうそういない。そしてその面白さを引き出す「今」をそのまま視聴者と共有するのだ。もちろん作っていないからこそ、変な“間”が生まれることも少なくない。隙間なく作り込むことが主流な昨今の番組とは一線を画している。

「変な間って、その人との距離感での間だから、すごく大事なんですよ。黙ってる時の間とかね。だから、そこはすごく大事にします。それが、作らない面白さですよね」