水本さんが石川島播磨重工業(現IHI)に入社し、横浜にある技術研究所に配属されたのは1982年。均等法が施行されるのは4年後で、IHIも女性の技術職を採用していない時代だった。
「当時、横浜の技術研究所には約300人いて、女性は私一人。会社は女性用トイレと更衣室の設置からはじめたと思います」
IHIへの就職は、大学院で水本さんを指導してくれた先生の勧めだ。「IHIがすごく大きな風洞設備をつくったから、それをオペレーションする人間が必要になる。水本さん、行きなさい」との言葉を素直に受け止めた。
IHIの大型風洞は環境アセスメント向けの設備。発電所やごみ焼却炉を建設したとき、その建物や煙突が風の流れにどう影響を与えるかをシミュレーションする。学生時代から研究してきた分野だから、仕事は面白かった。「世界一の技術を目指そう」と、時には夜中まで研究に没頭した。ところが上司から「そんな仕様は要求していない。期限内に満足のいく結果を」と叱責(しっせき)された。研究者としてはベストを尽くすのが当たり前。でも企業ではQCDのバランスが大切だ。
「そのときは何を叱られているのかわかりませんでしたが、今はよくわかります」