2006年2月に本社が移転した豊洲IHIビルは、日経ニューオフィス賞でニューオフィス推進賞を獲得。本社移転のプロジェクトを担った水本さんにはキャリアにおける一番の修羅場、かつ最も成長できた仕事だった。

水本さんが石川島播磨重工業(現IHI)に入社し、横浜にある技術研究所に配属されたのは1982年。均等法が施行されるのは4年後で、IHIも女性の技術職を採用していない時代だった。

IHI 執行役員 調達企画本部 本部長 水本伸子●1982年、石川島播磨重工業に入社。技術研究所にて研究職として活躍。その後、技術開発本部などを経て2004年に本社移転プロジェクトのリーダーに。14年に執行役員昇進、16年より現職。

「当時、横浜の技術研究所には約300人いて、女性は私一人。会社は女性用トイレと更衣室の設置からはじめたと思います」

IHIへの就職は、大学院で水本さんを指導してくれた先生の勧めだ。「IHIがすごく大きな風洞設備をつくったから、それをオペレーションする人間が必要になる。水本さん、行きなさい」との言葉を素直に受け止めた。

IHIの大型風洞は環境アセスメント向けの設備。発電所やごみ焼却炉を建設したとき、その建物や煙突が風の流れにどう影響を与えるかをシミュレーションする。学生時代から研究してきた分野だから、仕事は面白かった。「世界一の技術を目指そう」と、時には夜中まで研究に没頭した。ところが上司から「そんな仕様は要求していない。期限内に満足のいく結果を」と叱責(しっせき)された。研究者としてはベストを尽くすのが当たり前。でも企業ではQCDのバランスが大切だ。

「そのときは何を叱られているのかわかりませんでしたが、今はよくわかります」