経典をペラペラめくり、
「適当に指差した漢字をランダムに並べるだけ」
「霊感商法」は新興宗教の専売特許ではない。日本の伝統仏教、坊主が葬儀に絡めて行っているのは、まさに霊感商法にほかならない。
私がそう考える理由はいくつかあるが、典型例は「戒名」だ。伝統仏教の葬式では、坊主が死者に戒名をつけ、遺族から高額のお布施をもらうシステムになっている。しかし、釈迦の教えにそんなものは存在しない。
通常、戒名はお通夜の席で喪主から依頼を受け、坊主が葬儀までに考えることになっている。「□□院○○▲▲居士」という場合、戒名とは▲▲の部分。□□は院号、○○は道号。居士というのは位号である(図参照)。つまり一般に戒名といっても、実は戒名以外のいろいろなものにお金がかかっているのだ。たかだか12文字を考えるだけで、何と1000万円取る場合もある。原価ゼロで無税。しかも、生前の名前のように字画は一切関係ないからつくるのは簡単だ。ある坊主などは目をつぶって経典をペラペラめくり、「適当に指差した漢字をランダムに並べているだけ」と言っていた。
そもそも戒名は釈迦の弟子になった証であり、出家して授戒した者にだけ与えられる。普通の人間には関係ない。
そう言うと、坊主たちは「僧侶が戒名をつけることで、死者は釈迦の弟子になる。それゆえ死者は成仏することができるのだ」と口を揃えるだろう。別にそれでも構わないが、お金は必要だろうか? 芸能人が芸名をくれたプロダクション社長に大金を支払うようなもので、ありえない話である。
なのになぜ、人は戒名をもらいたがるのか。多くの人は疑問を持ちながらも「死んだら、そういうことになっているから」と答えるだろう。
では「そういうこと」にしたのは誰か? 日本の坊主である。江戸時代、坊主の手で死者を出家・成仏させてもらう習慣が庶民の間に広がり、死後に戒名がつけられるようになった。この習慣を利用して戒名をランクづけし、料金を差別化する坊主が現れた。
例えば「院」号は天皇家、「院殿」号は将軍家の専売特許だったが、いつしか一般人もつけられるようになった。「特別に信仰心の篤い人に与える」という建前だが、権力や権威同様、人はお金を積んでそれを得ようとする。本来は坊主が毅然として断るべきだが、儲け根性が染み付き断れない。その結果、「お金を出せばもらえる」という構図が出来上がった。そうなった一因が人間の虚栄心であることも確かだ。