CASE2●資生堂
課題)アイデアを量産する組織に変えるには?
「コンセプトづくりから協力できるパートナーを探していたんです」
そう語るのは資生堂の漆畑好美氏。漆畑氏は、最初に資生堂とIDEOを引き合わせた人物だ。当時、リサーチ手法などを提供する部署にいた。
11年、東京オフィスの設立と同時に、一緒にブランディングやコンセプト開発をしないかと社内に提案したが反応は芳しくなかった。
そこで、漆畑氏はIDEOとの2日間の社内研修を取り入れた。
その反響から、IDEOの存在は社内で徐々に知れ渡るようになる。14年には、同社の中西裕子氏がIDEOとの協働をスタートさせる。
「それまでの技術ありきで何ができるのかを探っていく方法に限界を感じていました」(中西氏)
中西氏が最も刺激を受けたのは、IDEOの「問いの変換」という考え方だ。たとえば、化粧品開発であれば「どうしたらシワが消えるのか」とはじめてしまいがちだが、その「問いかけ」自体が正しくない場合もある。「より本質的に人間が満たしたい感情は何か」という問いに変換すると、新しい発想が広がりやすい。
「お客様に体験いただきたいことから研究を提案する、というように発想が転換しました。私自身も常に新しく、本質的なことがないかを探っていくようになり、仕事そのものが楽しくなりました」(中西氏)
IDEOとの協業を経た今、前出の漆畑氏はこう考える。
「マネジメント層こそ、IDEOの実践していることを体験して、考えを柔軟にしていく必要がある。担当者が楽しいことをやろうとしても、決裁者の常識的な判断でいいアイデアの芽がつぶれる可能性がある。失敗を恐れず新しいことに挑戦する風土づくりが大切です」