「日本人の家庭観」、価値観はむしろ画一的な方向へ
「希望を生み出す強い経済」、「夢をつむぐ子育て支援」、「安心につながる社会保障」の「新・三本の矢」にも、結構なポエムが炸裂しているのを見て苦笑した人は少なくないだろう。夢を紡ぐ……。まぁ、夢だけならいくらでも紡げるのだ。
「3世代同居・近居」の促進と支援が報じられた時、当事者である働きざかりの子育て層からの反発は大きかった。若い女性の就業率向上、育児支援など高齢近親者の間接的労働力への囲い込み、在宅介護と、「3世代を同居させたら、いま少子高齢化の大きな問題を全てワンストップで解決できるじゃないか! アッタマいいー!」とうれしそうな誰かの声が聞こえてくるような施策に、
「産めよ殖やせよ、働けよ、介護もせよと、結局女に全てを担わせるのか」
と女性の呻き声が上がった。(参考記事:3世代同居支援が反発を招く理由 「伝統的家族回帰」のリスクとは)
社会構造と価値観に手をかけずして、結局誰かにとって見慣れて安心な、旧来の“家庭観”に安易に収束させようとする……。すると、老体に鞭打って孫の育児をするのも、子供は母に任せたからと長時間ゴリゴリ働くのも、いずれ老親の介護のためにキャリアを諦めて退職するのも、女性なのだ。それは支え合いと言うよりも、世代間の連綿たる貸し借りである。(参考記事:「『仕事・育児を両立』した女性に限って、なぜ、50歳で介護離職するのか?」)
日本の社会構造では、“女性の力”や労働力はあまりにも評価されず、それゆえに表面化せず埋もれてきた。だからなのか、ひとたび女性の力を活用すると決めたら、それは無尽蔵かのように、あるいは全ての社会問題を解決する魔法の呪文かのように扱われている。実際にはその立場にないものたちが施策に携わっているのがよく分かりはしないだろうか。最適化と効率化も、女性の活躍も正義だと信じてこのような発想が出現するのだろうが、でもそこに新しい日本の家庭観の提示、価値観の転換はない。