食材との出会いは、生産地との“縁”
小田原のかますだけではない。世田谷の豚、山梨県早川町の鹿肉、群馬県甘楽町の野菜……サーモン&トラウトの料理はすべて、森枝が自分の足で探してきた食材でできている。料理を食べながら、一つ一つの皿の上の“縁” を聞くのがまた楽しい。187センチの大きな身体でよく動く。厨房のなかだけにとどまらず、日本国中、食材に出会うために動き回る。いい食材の噂を聞けば、わずかな時間を見つけて、生産地へ行く。その場限りではなく、長く付き合う。
「土曜日の午前中は青山ファーマーズマーケットへ行っています。甘楽町の農家の野菜の店を手伝わせてもらっているんですよ」
そう聞いたので、ある日ファーマーズマーケットを訪ねてみた。その時間はたまたま森枝はいなかったが、お店にいたおばあちゃんは「今日はまだ来てないねえ」と、まるで息子のことを話すように顔をしわくちゃにして笑った。根セロリ、オレンジ色のカリフラワー、ブロッコリー、バターナッツ……。そこに並ぶ野菜たちを見ているだけで、森枝がいなくてもサーモン&トラウトの料理が思い出される。
食材一つ一つにそこまでこだわる森枝。こんな29歳が、どうやって出来上がったのだろうか?
父は「カレー大王」の異名をとるジャーナリスト
森枝幹の父親は写真家で、食のジャーナリストの草分けでもある、森枝卓士氏。「カレー大王」の異名を持ち、世界中を旅してさまざまな料理を食べ歩いた人物だ。2015年末に発売されたdancyu1月号特集『いい店って、なんだ?』で、彼が執筆した「バードランド」という記事に、2人の息子の話が登場する。銀座のバードランドは、ジャズが流れ、赤ワインがあるという焼き鳥店の先駆けとなった名店である。
「今は20代も後半になった息子たちが、小・中学生の頃だ。(中略)食い盛りだった長男が、『鶏も違うけど、塩が違うね』と生意気を言いながら、“おまかせ”をもう一巡食べたいと……」
この「塩が違うね」と言ったという長男が森枝幹である。そのくだりを突っ込むと、「そんなこと言ったかなあ」と照れくさそうにしていた。
「小さい頃から料理人をやろうとは思っていました。父の影響でしょうね。昔から、食卓の上にハーブとかいろんな唐辛子が普通にある家でした。シドニーに世界のベストレストランの3位になったTetsuya’s という店があるんですが、そこの料理本の写真を父が撮っていたりした縁で、小学校高学年のときから『そこで働け』と言われていました」
中学高校時代は本格的にバレーボールに打ち込み、都大会で優勝するなどの結果を出す優秀な選手だった。社会人になったあとも本格的にバレーボールを続ける人生も考えたが、18歳のとき、大阪の調理師学校へ入学した。
「基礎技術はそこで学びました。今思うと……」と森枝は当時を振り返る。「基礎技術に加えて、現代に至る料理人や料理の系譜を体系的に学べる授業があったら、もっと良かっただろうなと思います。今、人気のある高級レストランのシェフの系譜はこうなっていて、どういう修行をしているのか、とか。そういう最新の料理業界の話が若い頃に学べたら、すごくいいですよね」
調理師学校を卒業した後、念願の「Tetusya’s 」へ。オーストラリアでは、レストランでの料理修行をしながら、ビーチバレーの練習にも精を出していた。このとき「バレーボールではご飯を食べられない」と思ったという。
「オーストラリアでは、オリンピック4位になったコーチについたんです。僕より身長が10センチも高くて、しかもはるかに能力も高い。こんな人でも世界のトップにはなれないのかと思い知らされました。これはバレーボールでプロになるのはとても無理だ、と。それで、やはり料理の道で食べていこうと決めたんです。
でも、今の僕が当時を振り返ると、オーストラリアにいた頃の僕はユルくて最悪。あんなに恵まれた環境にいたのだから、もっとしっかりやっておけばよかったと思う。料理に対して、時間をもっと濃く使えたはずだと反省しますね。身銭を切ってビジネスを始めるようになって、すごくそう思います。でも、いつかもう一回、海外でやってみたいと思う気持ちはありますね」