料理人の道はしんどい。でももう一回、料理で海外に行ってみたい
Tetsuya'sは和食とフレンチを融合させ、そこにオーストラリアの食材を組み合わせた料理が楽しめる名店だ。「オーストラリアの、自由で、いろんな要素が混ざっている感じが、すごくいいと思った。もう一度料理で海外に行くとしたら、自分の強みというか、ベースになるものをきちんと身につけてから行きたい。日本人の自分にとって、それは和食だろうと考えたんです」
こうした考えで帰国した彼は、表参道の「湖月」で3年間、和食を修行することになった。
「和食っていうのは、季節に合わせて、毎年同じ事をキチッと同じ状態に仕上げるよう求められます。とてもそれは大変なことなのです。 実際にそういう仕事を隣で見せてもらい、手伝わせてもらったのは、本当に良かったと思っています」
厳しい修行を厭う気持ちは、なかった。学生時代、バレーボールをやっていたおかげだと言う。
「運動をやっていたので、体のキツさとか規律の厳しさとかには慣れてる。(和食店での修行は)とても大変なので、みんながムリだよ、というのも分かるけど、部活で味わったキツさや厳しさを思えば苦じゃなかったです。料理の世界って、結構しんどいことが多いんですよ。深夜まで働いて、翌朝は8時出社。他の店の話を聞くと『終電で帰って翌日は始発で出てくる』なんて若手も普通にいました。修行中の給料はすごく安いし、残業代もない」
和食に限らず、料理人の修行というのは非常に厳しいものである。上下関係が厳しく、かつては殴られたり蹴られたりということも日常茶飯事だったと聞く。そのせいか、女性で料理人を目指す人も少ない。料理人の世界で活躍する若い人は、これから減る一方なのだろうか。
「今の日本の料理人の修行プロセスが正しいと僕は思っているわけではないけれど、最近の若い人が続かないっていうのはよく分かります。でもそういう大変さはパティシエも同じですよね。でもパティシエになる人は減っていないし、女性も増えている。だから職業に魅力があれば、料理人を目指す若い人はいなくなりはしないでしょう。これからは女性のシェフも、もっと出てきていいんじゃないですか」
大阪府大阪市生まれ。スポーツニッポン新聞大阪本社の新聞記者を経てFM802開局時の編成・広報・宣伝のプロデュースを手がける。92年に上京して独立、女性誌を中心にルポ、エッセイ、コラムなどを多数連載。俳優、タレント、作家、アスリート、経営者など様々な分野で活躍する著名人、のべ2000人以上のインタビュー経験をもつ。著書には女性の生き方に関するものが多い。近著は『一流の女(ひと)が私だけに教えてくれたこと』(マガジンハウス)など。http://moriaya.jimdo.com/
ヒダキトモコ
写真家、日本舞台写真家協会会員。幼少期を米国ボストンで過ごす。会社員を経て写真家に転身。現在各種雑誌で表紙・グラビアを撮影中。各種舞台・音楽祭のオフィシャルカメラマン、CD/DVDジャケット写真、アーティスト写真等を担当。また企業広告、ビジネスパーソンの撮影も多数。好きなたべものはお寿司。http://hidaki.weebly.com/
撮影=ヒダキトモコ