仕事は思いだけではどうにもならないことも
債券部には8年いて、97年に異動した先が国際引受部でした。中国本土の銘柄を初めて東京証券取引所に上場させる案件に携わっていました。使命感に燃えていた覚えがあります。
同年秋、第1子を出産します。つわりで気持ち悪いというのもありましたし、歩いて息切れすることもありましたが、体調をみながら働き続けました。中国にも頻繁に出張していました。ただし上司からは「9カ月になったら飛行機に乗るのは止めてくれ」と言われていましたので、最後のフライトは夏の終わり頃だったでしょうか。
その年は山一證券が自主廃業し、「次は大和か?」とも言われた時でした。会社も業界も一番厳しいときに仕事を離れてしまうことに申し訳ない気持ちがありました。8週間の産後休暇の後、出産前に携わっていた中国案件に再び加わりました。関係者で繰り返し協議し、細かい詰めを行っていきましたが、結局、その案件は成就しませんでした。マーケットが悪くなり、最後の最後で上場は中止となったのです。思い入れの強い案件だっただけに残念でなりませんでしたが、気持ちだけではどうにもならないこともあると学んだ案件でもありました。
構成=Top communication 撮影=向井渉