昨夏の解釈変更で必要性が薄れた「9条改正」

僕は改憲論者ですし、改憲を目指すためには、この夏の参議院選挙は正念場です。だけど、改憲という言葉を口に出すだけで、「9条守れ!」と、条件反射で批判してくるのは本当にやめてほしい。実際に辻元清美さんは、僕の真意を理解せずに、「橋下は戦争をやりたがっている。あんな独裁者は大阪から追放だ」って大騒ぎしていた。「大阪府民の皆さん、橋下の言うことには騙されないで!」と僕のことを詐欺師のように扱っていた。僕は公人中は我慢していたけど、今は私人。はっきり言わせてもらいますけどね、「辻元さん、あんたは本当の詐欺罪で逮捕されて有罪判決受けとるやないか」。僕には色々批判があるかもしれませんが、詐欺罪で捕まったことはありません(笑)。

まあ、せっかくですから、少し寄り道して自衛権の話をしますと、僕は日本が自衛権を認めることは当たり前のことだと思っています。だいたい、憲法9条は皆さんもご存じのとおり、GHQが日本の牙を抜く意図で作ったものです。もちろんそれだけではなく、カントの「永遠平和のために」よろしく、世界連合(国際連合のようなもの。理想形は世界政府)を作り、国家主権に基づく軍事力の行使は禁じようという高尚な理想も込められていたのでしょう。

当初、吉田茂首相は、日本には自衛権がないと言っていました。もちろんそれは、世界連合が軍事紛争を適切に解決してくれることが前提となっていましたが。しかし、朝鮮戦争が勃発して、日本国内のアメリカ軍を朝鮮半島に移動させるにあたって、日本国の自衛権を確立していく必要に迫られた。アメリカの介入があり、本来自衛権を否定している憲法9条の建前のもとで、どうにか自衛権を認めるような解釈をずっと積み重ねてきたのが、わが日本国のふがいなさというか、ゆがみの根本なんですよね。

僕は戦争には反対です。戦争なんか絶対やっちゃいけない。でも、現状は自衛権を放棄していいような国際情勢とはとても言えませんよね。世界連合・世界政府ができて、世界警察ができ上がって、ならず者国家も含めたあらゆる国が、世界警察に従うという状況になれば、そこで初めてすべての国が軍事力を放棄できるし、放棄すべきなのでしょう。

集団的自衛権については、今の憲法9条の下でも、チームメイト(今はアメリカ軍)を守るという範囲でなら、僕は認めるべきだと考えています。でも、それを越えて、世界各国の安全を守るために、すなわち世界の平和のために集団的自衛権を行使することには反対です。これをするなら憲法9条の改正が必要でしょう。ですから、世界平和の実現責任を負うことにつながりかねない現在の安倍首相の集団的自衛権の範囲にも反対です。安倍首相の集団的自衛権には憲法改正が必要だと思います。

しかし、僕は民主党、失礼、民進党と共産党のように現憲法9条の下での集団的自衛権に反対ではない。賛成だけれども、安倍首相が考えている集団的自衛権よりも範囲を狭めるべきだという見解です。

安倍首相の集団的自衛権を認める憲法解釈によって、とりあえずのところ憲法9条改正の必要性は薄まりました。とりあえずアメリカというチームメイトを一定守ることのできる法律もできた。自衛隊の存在について多くの学者は違憲だと言っていますが、そもそも安倍首相は集団的自衛権については学者の違憲という声を振り切って、それを認める憲法解釈をしたのだから、自衛隊について学者の違憲という声を気にすることはない。最高裁は、自衛隊を違憲とは断じていないので、自衛隊の存在を裏付けるための憲法改正の必要性もない。