国務大臣・内閣特命担当大臣(行政刷新) 蓮舫(れんほう)
1967年、台湾台南県にて台湾人の父と日本人の母の間に生まれる。ワイドショーの司会などを経てキャスターに。2004年初当選。菅内閣において初入閣。
国会内でトイレに行こうとしたら、秘書から「トイレは大臣室内にあります」と止められ、「いるんだろうか、それ……」と内心つぶやいたという。必死で予算確保しようとする官僚らに「本当に必要なのか」と切り込んでいく姿で“必殺仕分け人”の異名をとっただけのことはある。“奇兵隊内閣”最年少にして、史上初の華人系大臣の蓮舫行政刷新相のムダに対する容赦のなさは半端でない。
日台ハーフの恵まれたスタイルを武器に青山学院在学中にクラリオンガールをへて芸能界デビュー、報道番組キャスターなどを経て政界に入った経緯は知られるところだが、ルックスだけのタレント議員とは一線を画す。祖母・陳杏村氏は戦時中の混乱期を機知と度胸で生き抜いた実業家であり、戦後は台湾バナナの対日輸出で富を築いた政商だ。蓮舫の名は女傑とうたわれた祖母が「泥のような混沌の世も(泥中に咲く)蓮の舫(ふね)で渡っていくように強く生きよ」という願いを込めてつけたという。その名にたくされた台湾女性のたくましさが、1回生議員で大臣にまでなった孫娘に受け継がれている可能性は強い。台湾独立運動を支援した政治家・陳唐山氏はおじに当たり、台湾民主の重要性は熟知している。中国メディアは初の中華系大臣として日中関係にプラスになると期待をよせるが、無防備な親中派というわけでもない。
2児のよき母親の顔をtwitterで公開する面も。だが、行刷相として最初に臨んだ記者会見では「私に課せられた任務は税金の浪費を洗いだすこと。行財政改革を抜本的に行う道筋をつくる」と厳しい面持ちで誓った。抵抗の嵐にあってもこの誓いを遂行できる真の女傑たるか。であれば菅内閣が目指す「強い経済、財政、社会保障」実現へキーパーソンの一人といえよう。