――タケシの強い願いにもかかわらず、ヒロシはこれまでの治療を真面目に行おうとした。しかし、収入が増える気配はない。
ヒロシへ。
昨日、おまえが帰った後、お母さんは泣いていました。おまえがお父さんの経営方針に耐えられなくなって独立開業したのだと聞いて、お父さんもショックでした。でも、ヒロシにはヒロシの考え方があるのだろうし、お父さんはこれ以上うるさく言うつもりはありません。
けれど、おまえのやり方はやっぱり間違っています。今の時代は、おまえのような歯医者から真っ先に潰れていくのです。
歯科医にとって今は暗黒の時代です。社会はどんどん悪い方向に向かっています。歯科医の都合など何も考えないお客第一主義のメーカーのせいです。やつらがフッ素入りの歯磨き粉や≪【I】虫歯になりにくい甘味料≫を開発したせいで、社会全体の≪【J】虫歯患者の数は年々減っている≫のです。
また、歯医者経営のことなどまるで考えないマスコミのせいで患者たちも知恵を身につけ、毎日のブラッシングが丁寧になり、プラークコントロールの考え方も広まり、われわれの商売は先細りする一方です。このまま啓蒙運動が進めば、社会から虫歯患者が一人もいなくなる地獄のような時代が訪れるのではないかと、お父さんは心配でなりません。
だから、今のうちからコツコツと、必要のない治療を行って診療点数を稼いだり、≪【K】目新しい技術≫に飛びついて患者に大金を払わせるといった地道な努力をすべきなのです。
ヒロシも将来のリスクをしっかり見据えて、最悪の事態に備え一生遊んで暮らせるだけの金を確保しておけるように計画はきちんと立てなさい。社会から虫歯患者が1人もいなくなってから、「こんなはずじゃなかった」「こんなことになるなら歯医者なんてならなきゃよかった」と嘆いても手遅れなのです。
ところで、ヒロシは予防歯科という言葉を知っていますか? これは今、お父さんたちの間でもとてもホットなワードなのです。予防歯科はとても素晴らしい医療行為といえます。継続的な安定収入が見込めるのですから。
予防歯科の優れたところは、治療ではなくメンテナンスなので虫歯患者でなくとも金をむしり取れるところにあります。大きく稼げる商売ではありません。1回あたりの患者の支払いは数百円程度で、そんな小銭、ヒロシは馬鹿らしいと思うかもしれませんが、塵も積もれば山となります。患者は3割負担なので、実質的な稼ぎは1000円程度。それでも毎週通ってきてもらうようにすれば月に100万円ほどの稼ぎが見込めるでしょう。ブラッシング指導なら歯科衛生士に任せればいいのでヒロシがわざわざ動く手間もありません。虫歯を治した後に予防歯科を強く勧めれば、その患者からずっと小銭を稼ぎ続けることができるのです。
【I】虫歯になりにくい甘味料
砂糖の代替甘味料であるキシリトールは砂糖とは違い、虫歯菌の餌にならない。虫歯の原因にならないだけでなく、虫歯の発生を防ぐ効果まで証明されている甘味料は、キシリトールだけだ。
【J】虫歯患者の数は年々減っている
インプラントなどの新技術にしても、本当に儲かっているのは、それらを歯医者に教えている業者だという。歯医者は「このままでは食えなくなるかも」という危機意識が強いため、高額のセミナーでも大盛況となる。