映画もお笑いも偶然、出合った
オレにとって絵は趣味かもしれないけれど、映画もお笑いも仕事です。でも、仕事という意味が、ほかの人とはちょっと違っているかもしれない。なぜなら芸人も映画監督もなりたくてなった職業じゃないから。
お笑いを始めたのは学校をクビになって、偶然、入り込んだだけ。別にやりたくて漫才やってるわけじゃねえよって感じだった。好きでエンタテインメントの商売に入ってきたわけじゃないから、客観的に自分の芸を観察することができた。だから、売れるための方法論を考えることもできたんだ。
ところが若い頃から必死で芸人や漫才師を目指してきたヤツは、漫才師になったところで幸せを感じてしまってる。幸せになって芸人の世界に入り込んじゃってる。それだけで充分に幸せなんだ。そして、芸人になるまでに膨大なエネルギーを使ってるから、なかなか売れない。
映画監督になりたいって人も同じだ。映画監督で現場を走り回っている人って、監督になることが目的だったんじゃないかな。きっと、映画を撮ること自体が楽しいんだよ。彼にとっては映画さえ撮れればいいわけだ。作品を売ろうとか世間に評価されたいという願望はその人にとっては2番目の願望なんですよ。
そして、オレの場合はこれまた偶然、映画監督になっちゃったわけでしょう。だから、「映画監督だ」というだけじゃ快感を得られない。ロケ現場で助監督を怒鳴ったり、編集で「うーん」なんてうなりながら仕事することなんてとてもできない。監督をやっていても、クールに自分のダメさ加減を観察している。
それを考えると、水野晴郎さんなんて人はほんとに幸せだったと思うよ。あんな幸せなヘボ監督はいない(笑)。本人は気づいていたのかいなかったのかわからないけれど、監督であることの幸せが彼のなかでは圧倒的だったんじゃないかな。水野先生はほんとに幸せな映画監督です。