戦後ずっとアカデミックな知識を身につける場所とされてきた大学は、「稼ぐ力を身につけるための高等職業訓練所」と割り切ったほうがいい。だから大学の職業訓練機能の強化という考え方は理解できる。しかし、G大学とL大学という区分には、教育者としてまったく賛同できない。

すべての人間の可能性を信じて、彼らが坂の上の雲に向かって歩んでいく勇気を持たせるのが教育者の正しいあり方だと私は思っている。偏差値のように人間を格付けしたり、大学を格付けするのは教育者としてやるべきことではない。「君はG大学、あなたはL大学」などと上から目線で格付けするのは、教育者にはあるまじき態度だろう。

一時の入学試験の結果で、人生が決まるわけではない。子供の頃は優秀でも、その後に芽が出なかったり、落ちこぼれだった人が社会に出てから飛躍するケースはいくらでもある。人生のチャンスは、命尽きるまでに何十回、何百回とあるのだ。チャンスをつかんで自力で駆け上がろうとする人たちを鼓舞して、国民に希望を持たせることこそ国の大事な仕事であって、そうやってチャレンジャーを数多く輩出することが日本の産業競争力につながるのである。

日本経済が戦後復興、高度成長を経て絶頂期を迎える頃までは、チャレンジャーが次から次へと登場した。戦後第1世代の松下幸之助さんや本田宗一郎さん、第2世代でいえば盛田昭夫さんと井深大さんのコンビに川上源一さん(ヤマハ)、井植歳男さん(三洋電機)、早川徳次さん(シャープ)、立石一真さん(オムロン)と名前を挙げればきりがない。

上記のうち、大学に行ったのは盛田さんと井深さんだけ。川上さんが卒業した高千穂高等商業は後の高千穂大学。立石さんが出た熊本大学工学部も当時は熊本高等工業高校、要するに高専だった。