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(上)ホテル・レジャー事業の売り上げが右肩上がり (下)プリンスホテルの平均販売室料も右肩上がり

「研修を定期的に何度もやりました。しかし、言葉としては知っていても、実際に価格と需要をきちんとコントロールできる人は全従業員中、3~4人しかいなかった。そこで、その従業員や外部スタッフを指導者にし、各ホテルを回ってもらいました。ホテルごと、最低一人はレベニューマネジメントができるよう、人材育成をしたのです。そうしないと、高輪プリンスと品川プリンスで値下げ競争、なんてことも起こりかねないからです」12年3期と15年3期(ともに第2四半期)のシティホテルの平均販売室料を比べると、3年間で2641円も増加していることがわかる(図参照)。後藤が「利益なき繁忙」と呼んでいた価格競争から脱し、プリンスホテルのレベニューマネジメントの成果は、10年後半あたりから徐々に効果が表れ始めた。

ところが、ここでまた後藤が「いままでの10年で一番つらかった出来事」と話す大事件が起こる。11年3月11日の東日本大震災だ。

このときは西武HDを収益面で支えてきた西武鉄道までもが計画停電のために1カ月にわたって通常運行ができなかった。業績が上向いていたプリンスホテルも国内外からキャンセルが殺到し、稼働率が大幅に下落。

しかし、「そんなときでも収益は上げなければいけないし、奇貨としてそれに取り組むチャンスだと従業員に実感してもらえばいい」と、西井は発想の転換をする。固定費を圧縮するため、プリンスホテルでは早期希望退職を募り、575人が応募し、約40億円の特別損失を計上したが、チェーンメリットを生かしたコストコントロールに着手できたことがなにより大きかったという。

「ホテルの購買部門で一番大きなウエートを占めるのは食材です。それまでは料理人の食材へのこだわりが優先されていたのですが、ある程度食材を共通化してバーゲニングパワーを発揮し、単価を引き下げ、アメニティはアイテム数を減らして効率的な購買にしました。それまでホテル単位で行われていた予約や経理業務もエリアでまとめてできるようにしました」

外部の業者に委託していた客室清掃やベッドメーキングのような業務をグループ企業に替える。夏に繁忙期を迎える軽井沢や大磯などにはシティホテルや苗場などの従業員に勤務させ、冬はその逆の配置にするなど、人員配置においても効率化を図った。

こうして、東日本大震災以降、国内の需要喚起で収益力を高め、12年には再びインバウンド(訪日外国人旅行)獲得に向け動きを加速させていく。

西武HDにとって、プリンスホテルの経営が軌道に乗ったことでグループ全体の収益が安定、上場はもう目前に見えてきた。

(矢木隆一=撮影)
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