「素直に頭下げたほうがいいかも」
働く者にとって、「脛かじり」に匹敵するほど屈辱的な呼ばれ方は、そうはないだろう。失われた時代が10年だろうが20年だろうが、「自主独立」をよしとする価値観はそう簡単には揺るがない(揺らいでも困るのだが)。そんな生真面目な人がまだまだ多い半面、心のどこかで「逃げ切った」親世代の資産をあてにしているものだ。
高度成長期からバブル期を経て、今ほど資産を持つ高齢者がいる時代もなかったこともあろうが、オヤジらは俺らと違っていい時代に働けたんだし……といった理屈にならぬ理屈が脳裏をよぎり、そのたびに罪悪感や後ろめたさを覚えてしまう。
だから、親が祖父母に「助けてくれ」の一言を告げるに至るまでの心理的なハードルは高い。双方がそれを抵抗なくクリアする方策はないものだろうか。
「その理想的な方法があれば、私も知りたいくらいですが……」――ファイナンシャル・プランナーで「子どもにかけるお金を考える会」を主宰する菅原直子氏は苦笑する。
「生命保険の加入を勧めにくいのと同じで、嫌がられるケースもあるし、言うほうもカッコがつかないから言い出しにくい。でも、実際にお客様から相談を受けたときは、『ここは素直に頭を下げたほうがいいかもしれない』とアドバイスするようにしています」
もっとも近年は教育費が大変、とメディアが喧伝するおかげで、わが子に「いろいろ聞いてるけど、ほんとに大丈夫なのか?」と言ってくれる祖父母が増えてきた印象があるという。
「そういうときに、すんなりと『私立は3年でこれだけかかる』『部活動もあって』『予備校代もかかって』などと言えば、『わかった』と言ってポンと出してくれるおじいちゃん、おばあちゃんはいます。ただし、自分たちの生活で何か我慢してでも、という人ではなく、老後資金に大きな不安もない、出せるから出す人ですね」(菅原氏)
祖父母のなけなしの老後資金を「分けてくれ」と平気で言える親世代にはまた別次元の問題がありそうだが、大半の祖父母にとって、「孫の教育費」という名目は水戸黄門の印籠に近い。“100万円だけなら”“入学金だけなら”“初年度納入金だけなら”等々、たいがいは検討してくれるという。
「実際、住宅費用の援助をお願いする場合よりもすんなりいくと感じています。祖父母の世代は、大学への進学率が今よりずっと低かったことも関係しているのでは」(同)