「家族に見守られながら畳の上で死にたい」というのは、多くの日本人が抱く「死」への希望だろう。では、そうやって死んだ後、どのように葬られたいか。先祖代々の墓に入りたいのか、妻であれば夫と同じ墓か、親が眠る実家の墓か、はたまた樹木葬や散骨など、新しい選択肢を選ぶのか……。ライフスタイルの多様化によって、私たちは今、死後にまで至る終末期のライフデザインを迫られている。
「“先祖代々の墓”という考えが、そもそもの間違いのもと」と語るのは、第一生命経済研究所主任研究員であり、『変わるお葬式、消えるお墓』などの著書を持つ小谷みどりだ。
「『○○家之墓』と書かれた黒や灰色の墓石の下に、火葬した遺骨を骨壷に入れて納めるのが日本の伝統的な埋葬の形だ、と考えている人は多いと思います。しかし、墓石のあるお墓が庶民の間にも普及したのは江戸時代中期以降のことで、たった300年くらいの歴史しかありません。また、火葬が普及したのは、明治時代末期から大正時代にかけてのこと。それすら都市部を中心に起きた現象で、全国規模で完全に普及したといえるのは1960年代以降です。それらを踏まえると“先祖代々”とはいっても、今あるお墓に入っているみなさんの先祖は、せいぜい2~3代前まで。いってしまえば、伝統でもなんでもないんです」
では、日本の伝統的な埋葬法とは一体どんなものなのか。東洋大学ライフデザイン学部教授で、NPO法人エンディングセンターの代表で“桜葬”のサポートを行う井上治代に聞いた。
「庶民の埋葬の主流は、長い間火葬でも土葬でもなく、“死体置場”で朽ちるのを待つ、いわゆる風葬でした。今そんなことをしたら大変なことですし、『死者に対してなんて罰当たりな』と考える人も多いでしょう。ですが、その時代には“肉体は器であり、死ねば霊魂は遺体から抜け出す”という民間信仰が広まっていたため、ひとでなしでもなんでもなかったのです。時代を経て土葬が主流となり、99%以上が火葬という現在に至りますが、歴史をさかのぼれば、風葬も土葬も火葬も混在していて、散骨も特殊なものではなかった。それが日本なんです。
また、墓石のあるお墓を作るようになったのは江戸時代中期以降ですが、それも個人の墓であって、現在伝統的なものとされている“家墓”が登場するのは江戸時代末期。日本中に広まるのは明治時代になってからのことです。これは、明治政府が庶民にも苗字を与え、“家”という意識が高まったため。さらに、同時期に普及した火葬により、人間1人分の場所をとる土葬から、まとめて納骨しやすい家墓が広まる結果になったのです。埋葬の方法は、時代に合わせて変わって当然ですよ」