「俺は男だぁー!」と若い鹿が鳴く

進行方向に、季節外れの発情鳴きをする雄鹿がいた。通常、鹿の発情期はもう終わっている。10月中旬くらいからひと月弱あるが、優秀な雄は10月20日くらいには複数頭の雌を従えてハーレムを形成している。

雄鹿の鳴きを度々耳にしながら谷を下りると、谷底で「俺は男だぁー!」と叫ぶように鳴く小さな三段角の若鹿がいた。

こっちに気付かず鳴き喚く若造を見て、あぁそうだった。自分が10代後半の頃、同年代の女の子はみんな20代中盤とか30代の男に惹かれてて「何でだぁ!」って憤ってたっけ。と青臭い青春期を思い出したりしていた。

13時50分頃、最後の難所の崖を登り切る。M沢まであと少し。首からぶら下げていた鉄砲を両腕に持ち直し「狩猟に気持ちを向けよう」とフッと短く息を吐いた瞬間、30mほど先で何かが動いた。

なだらかな傾斜が広がる目の前の笹原に、パッと見6頭くらいの鹿がいた。と同時に「ピィッ」と鹿の警戒音。

鹿に向かい引き金を引き、「当たった」

一番近い獲物に向かって鉄砲を構える。スコープに乗った鹿は動いていないが、群れの中には逃げ始めている者もいる。より良い射撃姿勢を取っている猶予は無い。

ハンターが夕暮れの野原でライフルを狙う
写真=iStock.com/petesphotography
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引き金を引く。轟音の次の瞬間、鹿が一瞬跳ねた。そのリアクションを見て「当たった」と確信した。左を向いていた鹿は反転し、猛スピードで右手に逃げ始めた。他の個体も続く。

一旦ザックを下ろし、鹿の立っていたところに行くと、きな粉色に枯れた笹の葉の上に紅葉色の血痕が残っていた。やはり弾は入っている。しかし、それから10分ほど周囲を歩いても、次の血痕が見つからない。

鹿の逃げた方向は崖だが、首を伸ばして下を見下ろそうにも木々が邪魔して谷底までは見えない。

血痕を頼りに鹿を追い詰める

「血の量が少ないため軽症かも知れず、そうなると追い付けないかも知れない。今この鹿を追えば、今日はもうM沢には到着しないだろう。M沢周辺にも鹿はいる。鹿を撃てば、熊も待てる。この鹿を追って谷底に下りれば、熊を狙うことは出来ない」。

色々考えた。しかし、半矢の動物を放っておくのは違うと思い直し、ザックを背負い、進んだであろう崖を下りていく。

100mほど歩いた辺りから血があった。「ヨシっ」と心の芯に火が灯るが、血痕を見失わないように丁寧に追う。時刻は14時を過ぎ、北東に拓けたこの谷にはもう光が差さない。

谷底に下り立つ。耳を澄ませると、15mほど先から藪を漕ぐ音が聞こえた。音は不規則。鹿は傷ついた不自然な姿勢で走っていることが予想される。