街の構造を大きく変えた電車の正体

ライトラインの成功譚せいこうたんはあちこちで語られているが、その際にイメージを大きく刷新したことで路面電車ではなく、「LRT」と呼ばれることがある。

LRTという用語は、単に路面電車を新しく言い換えただけの表現ではない。LRTはLight Rail Transitの頭文字を取った略称で、そこには「路面電車のような手軽に利用できる公共交通機関を軸にした都市の形成および整備」を含んだ概念が存在している。

ライトライン沿線の自動車販売店にはライトラインの車体カラーと同じ配色の車があり、沿線住民に親しまれていることを窺わせる(2023年9月撮影)
撮影=小川裕夫
ライトライン沿線の自動車販売店にはライトラインの車体カラーと同じ配色の車があり、沿線住民に親しまれていることを窺わせる(2023年9月撮影)

ライトラインの成功は利用者数という数字で語られることが多いが、それは数字という客観的かつ一目で理解しやすい指標だから仕方がない面もある。だが、LRTの理念に沿えばライトラインを整備したことによって宇都宮の都市構造が変化したことこそがライトラインが含包する最大の意義でもある。

それではライトラインの開業で、都市構造はどのように変化したのか。

宇都宮に企業・工場が集まったワケ

それを知るためには、高度経済成長期から始まる栃木県と宇都宮市および周辺自治体が取り組んできた企業誘致の政策や都市計画の流れを押さえておく必要がある。少し長くなるが、簡潔に説明しておきたい。

戦後復興から高度経済成長期を経た日本では、東京・大阪といった大都市部に人口が集中した。そのため、過密の解消が問題になり、1970年代からは地方の時代が提唱されるようになった。

また、それまで豊かさだけを追い求めてきた日本の政治は大きく転換を迫られ、住環境の整備をはじめとする生活に目を向けた政策を打ち出す首長も増えた。同時期は、一般的に革新自治体の時代とも称されるが、そうした革新自治体下で戦災復興から高度経済成長期に大都市部で起きていた歪みを是正することが求められた。

過密の大きな原因は、大都市に偏在・集積した企業のオフィス・工場が理由のひとつだが、政府も企業も生産力を今以上に高めるべく、工場拡張の必要性を認識していた。

戦後に地価が急騰した東京で広大な工場地を確保することは難しく、また住宅が密集している点からも騒音・振動・大気汚染・水質汚濁といった問題から敬遠された。企業は工場の拡張を模索し、広い工場地を求めて郊外に触手を伸ばした。その一方、一大消費地である東京の拠点を完全撤退させるわけにもいかず、それが両立する宇都宮に白羽の矢を立てた。