新幹線が開通しても風景は変わらず…
宇都宮市には国鉄(当時)の宇都宮駅と東武鉄道の東武宇都宮駅があり、両駅は約2キロ離れている。市の中心部は東武側で、栃木県庁・宇都宮市役所が立地し、商店街なども形成されていた。
一方、宇都宮駅は市の玄関口として機能していたが、それは市外から来街者が利用するというものに過ぎず、1982年に東北新幹線が開業しても変わらなかった。
東北新幹線の開業によって東京からのアクセスが向上したことは、東京近郊から事業所を移転させるという機運を加速させた。それでも依然として宇都宮駅周辺が市街化することはなく、特に市街地と反対側の宇都宮駅東口は荒涼とした風景が広がっていた。
逆説的に言えば、そうした宇都宮駅東側には大規模工場が進出する余剰があり、実際に高度経済成長期からバブル期にかけて多くの企業が進出し、幹線道路沿いには大規模な工業団地が造成されていった。
東北新幹線の開業前から一貫して宇都宮東郊に工業団地が造成されてきたが、新幹線の開業は宇都宮にとって新たな変化を求められることにもなった。それまで政府が掲げてきた工業化政策は、あくまでも労働力に依存したものだった。
工場が増えて深刻化した朝夕の渋滞
それを高度・先端技術に軸足を置いた工業化へと転向した。全国各地で「テクノポリス」と呼ばれる高度技術集積都市が構想され、宇都宮でも研究機関を中心にしたニュータウンが計画される。
そして研究機関の誘致によって工業化を促進することは、宇都宮にとって経済面でも雇用面でも、さらに都市の発展という観点からも恩恵があり、歓迎すべき話だった。他方、工場・研究所といった事業所の集積によって新たな行政課題も発生した。それが、幹線道路の渋滞だった。
それまで宇都宮東郊は都市化の波が押し寄せておらず、事業所の集積に備えて道路インフラが整備された。これらの事業所が活性化すればするほど規模の拡大が図られ、それは工場で勤務する労働者を増やすことにもつながる。労働者が増えれば、相対的に通勤者は増えることになり、それが朝夕の渋滞を慢性的に引き起こしていた。 慢性的な渋滞は公共交通を整備することで解消できる。栃木県・宇都宮市も企業誘致の計画段階から公共交通を整備する必要性を主張していたが、当時は路面電車が斜陽の時代でもあり、しかも通勤需要は朝夕に集中していた。鉄道は線路・駅という施設の固定費が重くなるので、そうした理由からもバスで十分という結論に落着していた。

