「たまたま」ではなくなる
では、脳が予測する臓器だと考えると、何が変わるのでしょうか。
あなたが今、本書を読んでくださっていることを例に考えてみましょう。
本書を手に取ってくださったのはなぜですか?
もし、脳が反応する臓器なら、「たまたま書店で見かけたから」とか「表紙が気になったから」となります。「表紙」や「タイトル」という刺激に脳が反応したから手に取った。
でも、予測する臓器なら、これは「たまたま」ではなくなります。
書店に来る前から、あなたの脳はある作業の「続け方」を模索していたから、「続ける」という文字が目に入り手に取ったということになります。
気になっていることがあったらちょうど雑誌で特集が組まれていた。新しい企画を考えていたら同僚がぴったりの話題を振ってくれた。悩んでいたら久しぶりに連絡してきた友人から解決策をいわれた。
こんな体験があると思います。
「いいタイミング!」「助かった!」と感じるような体験です。
もし、脳が反応する臓器なら、この体験は説明がつきません。
でも、脳が予測する臓器なら、当たり前の体験だといえます。
反応する脳に作業を続けさせるには、手を替え品を替え刺激し続けなければなりません。この方法がうまくいかないことは、すでに実証済みのはずです。問題は、脳が予測できていなかったことでした。
この根本の考え方がずれていたせいで、私たちは何年も「続けられないこと」に悩んできました。
でもそれも、今日で終わりです。
脳は予測する臓器である、という前提をもとに、続け方を再設定しましょう。
「やりたい」エネルギーに耳を傾ける
続けるには、作業し続ける自分の姿が予測できている必要があります。脳は「あのときはこんな風にやった」という過去の体験から、「きっとこんな感じでできるんだろうな」と予測します。イメージが湧くといった方がわかりやすいかもしれません。
予測の材料になる「こんな風に」とは、学ぶ順番や使う道具といった作業工程ではありません。何日の何時にどこで作業するといった予定でもありません。作業したときの感覚、つまり内受容感覚を指しています。
子どもの頃に、夢中になって取り組んだことを思い出してみてください。絵を描くことでもいいですし、スポーツでも、ままごとでも、シール集めでも、どんなことでもいいです。あの頃の記憶を思い出そうとすると、何が浮かびますか?
作業工程でしょうか。具体的な日時や場所でしょうか。
いえ、違うはずです。口では表しにくい、体の内側から湧き出る「やりたい」というエネルギーが思い浮かんだはずです。これが内受容感覚です。
私たちは、この感覚に耳を貸してきませんでした。
目標や計画を立てたり、ご褒美を用意したり他人と競争することばかり考えていました。なぜなら、脳は反応する臓器だと思い込んでいたからです。
目標設定や行動計画やご褒美、競争はいりません。必要なのは、自分の内受容感覚を紐解き、「こんな風に」という抽象的なイメージから具体的な行動を予測する力です。

