「彼を知り、己を知れば百戦殆うからず」
先の、「彼を知り、己を知れば百戦殆うからず」という言葉も、通常は「敵の情報を収集し、こちらの弱点を知ることで戦いに備える」という意味合いで解釈されることが多いのですが、実際には「相手の士気と味方の士気、やる気満々か、もう厭戦気分が漂っているかを確認するべし」と言っているのに近いニュアンスがあります。
『孫子』には「拙速」という言葉も出てきます。現代日本では「拙速」は「早さばかりで中身が伴っていない(拙い)」ことを指しますが、孫子は「戦いは、稚拙でもいいから早く終わらせるべきだ」という、長期戦によるダメージをいさめる意味で使っています。戦争は長引けば長引くほど国力を消耗しますから、とにかく早めに手じまいすべきであると指摘しているのです。
『孫子』はこうした「戦争に対する気構え」のようなものを説くとともに、第九「行軍」篇や第十「地形」篇などでは軍をとどめる場所や敵情把握の重要性、土地の形状による対処法の違いなどを説いており、その本質は、まさに「戦争マニュアル」なのです。
「戦わずして勝つ」ことが至上
軍人でありながら理論家でもある、とその点ではクラウゼヴィッツと孫子には重なるところがあるのですが、戦争に対する考え方は両者で大きく異なっています。
クラウゼヴィッツは「戦争は相手に血を流させることだ」「暴力によって屈服させることが最終目標である」と述べていますが、孫子はそうではありません。よく知られているように、『孫子兵法』では「戦わずして勝つ」ことを至上としています。軍隊同士のぶつかり合いだけを説くものではなく、さらに俯瞰して国全体のことを考えると、「戦って勝ったとしても、激戦なら兵や国力を減らすことになる。そうなるとすぐに別の勢力に攻め込まれて負けることになるので、なるべく避けるべきだ」「敵国を破滅させて手に入れるのは下の下策である」としています。
つまり、基本的に孫子はクラウゼヴィッツのように「戦争は相手にこちらの意志を強要するために行うもので、衝突は不可避である」とは考えていません。戦争自体、やらずに済ませるのが至上の策だとしています。戦いが始まる前に相手の戦略や意志を砕くことの方が重要で、戦火を交えて奪取を目的として領地内を焼き払うのは得策ではないと考えているのです。

