“女性担当者”に納得しない顧客も

新会社の設立にあたっては、過去に経験したことがない予想外の状況が次々と押し寄せてきました。それでも何とか前向きに対応できたのは、日本IBMで最初に配属された北関東営業部での11年間があったおかげだと思います。仕事人生の土台を築いた時期だといって過言ではありません。

慶應義塾大学・商学部を卒業し、システムエンジニア(SE)として入社したのは1985年です。グローバル企業で働くことに憧れていたのに、最初に配属されたのは埼玉県。絶対に行きたくないと思って、「千葉の自宅から遠くて通えない」と抵抗したほどです。

北関東営業部は埼玉、群馬、栃木が主な担当エリアで、長野や新潟の一部もカバーした時期もありました。少人数の営業部ですから、1人で一通りのことは、こなせないといけません。業務のコンサルティングなど専門領域を超えた仕事も任され、それが経験の幅を広げてくれました。お客様は百貨店、スーパー、専門店などの小売業が中心で、店舗を見てまわって経営者の方とお話するのが楽しくてしかたありませんでした。

85年は男女雇用機会均等法が改正された年で、入社直後は女性はまだ22時以降の残業が法律で禁止されていました。社内で男女の違いを意識したことはありませんが、大型システムの競合で私が主担当だと知って、ご納得いただけないお客様もいました。後で知ったのですが、プロジェクトが数年に渡るため、その間にプロジェクトリーダーが結婚退職し、変更することになっても困るという事が理由でした。その時の上司はそれでも私を主担当に推してくれ、「システムのプロとして荒川に担当させていますので、彼女以上の担当はいないと確信しています。したがって変更はいたしません」とお客様に申し入れていただいていたことも後で知りました。11年間のうちはじめの7年はSEを務め、それから営業職になりました。