いずれにせよ、織田信長の重臣になって以降も、秀吉の父親は史料に登場しないし、秀吉が北条氏直(うじなお)への書状で「若輩のときに孤児になった」と記しているので、秀吉の幼少期に没したことは間違いない。ただ、秀吉自身がまったく父親について回顧していないのは、次のような特殊な事情もあったと考えられる。

「天下人になったことで、実父を語れなくなってしまった」

関白任官記(かんぱくにんかんき)』は秀吉が関白に就任したとき御伽(おとぎ)衆の大村由己(おおむらゆうこ)に命じて書かせたもの。そこには「秀吉の母は無実の罪で尾張に流された萩中納言(はぎちゅうなごん)の娘で、朝廷に宮仕えをして帰郷した後まもなく、秀吉を生んだ」とある。

つまり、秀吉が天皇の御落胤(ごらくいん)であることを暗示しているのだ。百姓から関白(朝廷最高職)に昇った秀吉が、自分の出自を飾る必要に迫られて書かせたのだろう。つまり天下人になったことで、秀吉は実父を語れなくなってしまったのだ。

(河合 敦/Webオリジナル(外部転載))
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