子どもの声に耳を傾ける
③考えさせる
最後になりますが、とても重要なのが考えさせることです。
先ほどのおもちゃのケースでは、「お兄ちゃんがおもちゃを貸してくれたらどう感じる」「おもちゃを貸してあげたら、あの子はどんな気持ちになるかな」と考えさせるのです。
ただし、あまりくどくどやると辟易するので、「もう分かったよね」と陽動作戦・迂回戦術も併用して、子どもの気分を切り替えましょう。
深い理解はあとになるかもしれませんが、子どもの記憶にはしっかりと刻まれるので親としては誠心誠意、わが子に接することが大切ですね。
このように、丁寧に子どもと向き合って対話し、子どもの考えに耳を傾けることを常に心がけましょう。自分だけでなく他者も尊重するような語りかけを受けた子どもは、自分が良ければいいという利己主義には陥らず、目的とするところの適度に高い倫理感を身につけられるはずです。
「うちの子は悪くない」ですむのか
集団生活は、個々が思い思いに振る舞っていては成立しません。
集団に属する個人は最低限のルールを守らなければいけません。理由もなく級友にちょっかいを出したり、弱い者をいじめたりするのは論外です。
しかも「ふざけているだけ」とか「自分ではなく別の子がやった」などと子どもじみた言い訳がニュースで取り上げられたりするのを見ると、どんな育ち方をしたのかと訝ってしまいます。
すると親も親で、「うちの子は悪くない」「いじめられる子の家庭にも問題がある」など、あきれて、開いた口が塞がりません。
おそらくそんな親が違法行為を注意されれば、「私だけではない」「なぜ他の人を捕まえないのか」などと言うのでしょう。
こうなると「親の、親の顔」が見てみたくなります。「子どもの自由」「子どもの権利」「個性を認めよ」というおためごかしな発言も耳にします。
もちろん子どもにも「権利」はありますが、なんの義務もない子どもにある権利は限定的で当然でしょう。
「自由」に関しても同じです。自由に振る舞うのは勝手ですが、その振る舞いの結果には責任が生じます。
学校に行かない自由があるとすれば、その結果として知性や社会性が身につかないなど、結果に対する責任は子ども自身が取ることになります。
子どもにそんな責任を取らせるのは残酷極まりないと思いませんか。
親は最低限のルールを設けて、子どもがそれから逸脱しないように見守る義務があるのです。

