最初の本の表紙には「米連邦議会立法調査官」
今や衆参両院で少数与党となった自民党。新しく総裁になった高市早苗氏は、国会で首相指名にこぎつけられるのか。実現すれば日本初の女性首相の誕生となるが、高市氏が最初のキャリアとして、テレビの出演番組や自著で使っていた肩書き「元米国連邦議会立法調査官」は経歴として盛り過ぎだったのではないかと、疑問視する声がこれまで度々上がってきた。
高市氏は安倍晋三元首相や英国のサッチャー元首相への尊敬の念を語り、その過程で自身も「安倍(晋三)氏の後継者」「日本のサッチャー」と呼ばれるようになってきたが、そうして大物になぞらえながら存在感を増し、立身出世を遂げていく高市氏流のやり方は、既に約35年前のキャリア開始時から始まっていたように見える。
現在、新聞やテレビの多くは高市氏の経歴を紹介する時、まるで奥歯にものがはさまったように、「米国連邦議会で働いた経験がある」といった曖昧な言い方にとどめている。高市氏自身の公式プロフィールを見ると、「米国連邦議会Congressional Fellow(金融、ビジネス)」とあり、以前、テレビに登場する際や著書のプロフィールで名乗っていた「米国連邦議会立法調査官」とは異なる肩書きとなっている。
米議会の官僚ではなく、議員事務所のスタッフ
では米国から帰ってきて、日本でのキャリアをスタートさせた当初、高市氏はどう自称していたのだろうか。1989年の高市氏の最初の著書『アズ・ア・タックスペイヤー:政治家よ、こちらに顔を向けなさい』(祥伝社)を見ると、おもて表紙に著者名として出てくるのが「元米連邦議会立法調査官 高市早苗」だ。裏表紙の略歴欄にも、「1988年1月より1989年3月までアメリカ連邦議会立法調査官として働く」とある。本文でも、「日本人では初の米連邦議会のコングレッショナル・フェロー(立法調査官)として、パット(パトリシア・シュローダー議員のこと)の事務所で働いていました」と書かれている。
最初にまず、高市氏は連邦議会の事務局のスタッフではなく、議員事務所のスタッフだったことを確認しておきたい。「官」という言葉がつくと、日本では公務員や官僚を連想しがちだからだ。
特筆すべきは、本文中さらに、「事務所には三人の立法補佐官(レジスレイティブ・アシスタント)がいて、彼らは永久スタッフでしたが、あと一人、議会特別研究員として、コングレッショナル・フェローという身分の立法調査官を採用していました」と説明していることだ。


