これは、批判のための批判を商売にする社会運動家を育てようとか、地方へのバラマキを加速するのが正義だというような理由ではありません。そうではなくて「困難を経験した人間」だけが持っている「どうしても問題を解決しないと前進できない」というモチベーションや、社会やコミュニティーに対する批判的な観察力というのは、技術革新にも経済成長にも必要な資質だからです。

反対に、判で押したような平凡でカネで買える国際経験や自然体験、そんなもの「だけ」を総合選抜で評価していては、問題解決型の人材は育たないと思います。それこそ、カネのかかる塾社会を生き延びることも含めて、経済力がないと高い教育が得られないという教育格差の世襲が続いてしまいます。これはエリートの貴族化を招き、国家の判断を現状維持型へと歪めて、全体を不幸にしてしまうでしょう。

別に「出羽守」的な言い方をしたいとは思いませんが、少なくともアメリカの歴史の長い大学は「同じ成績」であれば「困難な環境で育ってきた人物」を優先して合格させます。それこそ、ハーバード大学などはホームレスの高校生を入学させるなど、苦労した経験を持つ若者を才能の原石だとして評価する伝統があります。

当記事は「ニューズウィーク日本版」(CCCメディアハウス)からの転載記事です。元記事はこちら
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