野田佳彦首相と田中角栄元首相には共通する点が少なくない。ひとつは「辻立ち」だ。田中氏は「辻立ち5万回」を信条とし、街頭演説を重視した。その手法を受け継ぐ民主党の小沢一郎元代表は、前回の衆院選で大勝を導いた。

一方、野田首相も、財務相に就任する前日まで24年間、千葉・船橋の地元駅前で「朝立ち」を続けた。野田首相の朝立ちを手伝ってきた落語家の三升家う勝(かつ)氏には、こんな思い出がある。

「野田さんと私は同じ5月生まれなんです。さらに田中氏や小沢氏、中曽根康弘氏も5月生まれという話になり、『5月はいいですよね』と言っていました」

田中氏は28歳で衆院選新潟3区で初当選。大蔵相などを歴任し、当時戦後最年少の54歳で首相になった。最終学歴は建築の専門学校である「中央工学校卒」だが「高等小学校卒」のイメージが強い。本人も大蔵相就任時に「小卒」をアピールして、国民の共感をつかんだ。

2人とも5月生まれ、54歳で首相になった
2人とも5月生まれ、54歳で首相になった

野田首相は29歳で千葉県議に初当選。1993年に衆院千葉1区(現千葉4区)から出馬し当選。財務相を経て、54歳3ヵ月で首相になった。52歳の安倍晋三氏、54歳2ヵ月の田中氏に次ぐ若さだ。民主党代表選の演説では「父は富山県の農家の末っ子。母は千葉・船橋の農家の末っ子」と話し、さらに自身の外見を「選挙区は都市部ですが、なぜかシティボーイに見えない理由はそこにあるかもしれません」と評して笑いをとった。泥臭い実直さをアピールしたいのか、自らを「どじょう」に喩えたのもこの時だ。

田中氏は自民党幹事長として、財界からの献金を差配することで力を得た。前任の佐藤栄作首相は「財界の男妾」と揶揄され、その後を襲った田中氏も金権政治への批判を受けて退陣に追い込まれた。

野田首相はカネを握る政治家ではない。2010年7月の閣僚資産公開によると銀行からの借入金が3589万円あり、公開時は「国も厳しいが、わが家も厳しい」と話した。握るのは国のカネだ。財務副大臣時代に仕えた若手官僚が話す。

「藤井、菅両財務相の下で、政権交代して初の予算編成や税制改正大綱のとりまとめを仕切っていました。部下が失敗してもイライラせず、ねぎらいの言葉をかけることを忘れない。器が大きく協調的で、しっかり判断できる方です」

官僚からの評価は高いが、裏を返せば、官僚にとって都合のいい人物でもある。明確な増税路線はその一つだろう。