人類がアフリカにいた頃の習慣

2008年のリーマン・ショック以来の世界不況の原因の一端もここにあると考えられる。サブプライムローンの証券化商品について、買う側は品質評価、つまりリスクの高低などを自分では判断しえなかった。そこで格付け会社に全幅の信頼を置いていたのだが、その格付けを信頼した多くの人が破産してしまった。

買い手が「ちょっとおかしい」とでも合理的に判断できれば回避できた事態のはず。安易なヒューリスティクスに頼ったことがマイナスに大きく作用した好例といえる。

反対にリスクを恐れて行動できないということも起こりうるだろう。転職を勧めるヘッドハンターが提示した給与、環境、役職・地位などの条件が、明らかに現在の職場よりも良かったとしても、今の仕事を続けるという選択をする人は多い。言葉ではうまく説明できない非合理的な行動を人間はとるのだ。

では、なぜ人間は合理的な「経済人」にはなれないのか、些細な情報や感情に振り回される存在なのか。カーネマン自身が研究の中で言及しているわけではないが、行動経済学の枠組みから辿っていくことができる。

話は原始人類まで遡る。彼らはアフリカのサバンナで何万年にもわたって狩猟採集生活を行ってきた。人類はこの環境に適応した期間が莫大な長さになるのに、ここ数百年の環境があまりにも急激に変わりすぎて、人間の脳や頭が適応しきれない状況ができているようだ。ストレスやその他、精神疾患などの病気も、こんなところに、そもそもの原因があるといわれている。現代人の多くは甘い物や脂っぽい食べ物を嗜好するが、決して現代生活に適しているとはいえない。だからこそ多くの人がダイエットに迫られ、しかも大抵うまくいかない。

しかし、アフリカのサバンナでは「甘く、脂肪を好む」種が生き抜いて代々子孫を残してきた。甘い物、脂っこい食べ物はカロリーも高いのだから、当然といえば当然。そうした嗜好を持たない者は数万年にわたって淘汰されてきた。

些細な情報に左右される衝動買いや限定品買いといった行動も、目の前にあるものをすぐに食べるのが生存競争では必須であり、なおかつ合理的であったことに由来する。そうした思考ないし行動の持ち主が代々子孫を残した。そうでなければ淘汰にさらされる。

些細な情報に振り回されるというのも、考えてみれば原始人類は100~150人程度の限定した集団で生活していた。その内部の情報を疑う必要もなかったので、情報が入ってくればすぐに行動するのが当時としては合理的であった。そうした反応が現在にいたるまで身についている。そういった集団内の常識に縛られ、合理的な行動を起こすことをためらうのだ。

所得が増えても幸せになるとは限らない「不合理」

所得が増えても幸せになるとは限らない「不合理」

行動経済学の研究は今、「幸福」を研究するところまで広がっている(図)。所得が小さいときは、所得という尺度は幸福度に大きく貢献するという。しかし、所得がある程度になると尺度の比重として下がり、人間関係、仕事の満足度、といったものが上位にランクしてくるという。

合理性の追求が幸福の絶対的要素ではない。衝動買いやリスクを取らないという生き方も、幸福の要素になりうる。

以上のような議論をすると、消費者にどうやって衝動買いをさせるのか教えてほしい、というご依頼を企業側からいただく。

小売りや量販店の値札のつけ方を見ても、人間が「経済人」として合理的に行動するのでなく、「感情」で動くことを企業は経験的に知っているようだ。私を招いて論理的に学びなおし、企業の販売戦略に活かしたいのであろう。有り難い申し出ではあるのだが、私は消費者の側に立ち、そんな企業に騙されることのない、より賢い生き方を啓発していきたい。

(構成=松山幸二)