そして、繰り返しになりますが、こうした言葉よりもさらに大事なのは、子どもの声に耳を傾けることです。当事者からより多く聞くのは、言われてうれしかった言葉よりも、やはり「聞いてもらって気持ちが救われた」という声です。

一方で、親やまわりの人に言われて悲しかった言葉、つらかった言葉は、うれしかった言葉の反対側にある言葉です。一方的にまくしたてたり、罵声を浴びせたり、叱りつけたり、行動を厳しく制限したりするのも、子どもを苦しませてしまいます。

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勉強はいつでもできると開き直る

子どもが学校へ行かなくなると、勉強の遅れが気になる方も多いと思います。

ずっと不登校を取材してきた立場から言いますと、いったん勉強は置いておいてほしいと思います。繰り返しになってしまいますが、まずは、休息をとること。つらいままだと、結局何も進みません。

親が開き直らないと子どもも開き直れません。たとえば、「今は勉強に集中できる状況ではないから勉強はいったん置いておこう」と親が思ってくれたら、子どもはプレッシャーをそれほど感じなくなります。

私自身もそうだったのですが、ずっと学校の勉強をしていなくても、ある日自分で「これは必要だな」「この学校へ行きたい」と思うと勉強を始めます。やろうと思ってからでも十分間に合います。

そして、勉強の遅れを取り戻すためには、「自分が受けてきた傷や苦しさがケアされていること」が前提条件となります。心も体も休息できていれば、勉強の仕方次第で遅れは取り戻せます。

学校側は、「登校しなければ、進級できない」などと言う場合もあります。

そうして圧力をかければ子どもはやるものと思っているところがあるのかもしれません。それで奮起する子もいるかもしれません。だけど、それはずるいやり方だと私は思うのです。

子どもがまだ見たことがない「未来」や「将来」をまるで人質のようにちらつかせて脅すなんて大人のやることではありません。

取材した棋士の羽生善治さんも「いつ始めても、いつやめてもいい。学びとはそういうものではないかと思います」とおっしゃっていました。学びって、自分が学びたいと思っていないとできないと思います。

学校へ行かなくなったとしても、保護者が学習のサポートをするための時間を無理に割かなくてもかまいません。親と先生、両方の役割は担えないからです。学習面は、子どもにやる気が出たときに、塾やAI教材、ドリルなどを活用するほうが早いと思います。