そうしたサービスを提供するお店は、今やほぼ廃業の危機に瀕して、代わって訪れたのが「結婚の新自由主義」といわれる時代です。くしくも、それは、英国サッチャー首相や米国レーガン大統領によって推進された「経済の新自由主義」の1980年代以降の時代と重なります。
「結婚は消費である」の本当の意味
誰もが平等に、しかも、自由に相手を選択できる「結婚の新自由主義」がもたらしたものは、一部の恋愛強者と経済力強者だけが結婚相手を選択できる「勝者総取り」の世界でした。恋愛における強者と弱者の格差がどんどん広がっていくのは、経済の新自由主義と同じです。
しかし、一方で、消費とは本来、物を買った瞬間だけで完結するものではありません。消費そのものは手段であり、目的ではない。消費して手に入れたものでその先どう楽しむか。どう人生を豊かにしていくかが重要なはずです。
結婚に当てはめれば、結婚はゴールではない。互いに経済生活も含めた結婚運営をどう2人で共に仕上げていくか、一緒に作り上げていくか。その未来へのしあわせの投資なのだと思います。
ちなみに、「しあわせ」とは、奈良時代は「為合わせ」と書き、室町時代に「仕合わせ」と表記されるようになったと言われています。「仕合わせ」とは「誰かと共に合わせる」こと。つまり、「しあわせ」とは「仕合わせる」という動詞であり、「幸せ」という状態のことを指すものではありません。見つけるものではなく、人との完成形の中で作りだすものです。
「結婚は消費である」とは「結婚とは、未来の仕合わせを2人で共に作り上げていくため扉を開ける消費である」ともいえるのです。そう考えると、決して悪いものではないのかもしれません。