本稿のテーマに沿って、ここでは選挙に関する質疑は省略する。私が「記者クラブ問題」について行った質問要旨は次の通りだ。
「総理は常々、国民に丁寧な説明をすると発言しているが、首相会見は参加する記者が限定され、質問の数も限られている。このような記者会見を可能にする現在の記者クラブ制度について、どう考えているか。今後、よりオープンな記者会見を開く考えがあるか」
私の質問を聞く間、安倍首相は時折、笑みを浮かべていた。そして、記者クラブに関する問いにはこう答えた。
「記者クラブの在り方というのは、これは正に私が申し上げることではないかもしれません。それはまた、正に時代の流れの中において、今までのメディアが全てカバーしているのかと言えば、そうではない時代になり始めましたよね。ですから、その中でどう考えるかということについては、正に皆様方に議論をしていただきたいなと思います。ただ、自民党政権の中において、こうした形で御質問を頂いたのは初めてのことだろうと思います。こうした形で、できる限り皆さんの機会も確保していきたい」
私自身も首相会見の共犯者になった
安倍首相が答え終わった時、私は追加質問をするために声を上げた。
「日本記者クラブでの会見に応じる考えはあるか」と問いかけたのだ。
安倍首相は就任以来、日本記者クラブが呼びかける記者会見に応じていない。日本記者クラブの会見にフリーランスの記者は出席できないが、それでも官邸での会見よりは多様な記者が出席できる。せめてその記者会見に応じるかどうか、言質を取ろうと思ったのだ。
しかし、私の質問は長谷川榮一内閣広報官によって遮られた。
「すみません。後の、他の皆さんが御質問を希望されているので、他の方に譲りたいと思います」
首相の言質を取れなかったことで、私自身も首相会見の共犯者になった。「こうした形で、できる限りみなさんの機会も確保していきたい」という、首相の「言いっぱなし」を許してしまったからである。
それでもまだ、私は記者側が巻き返せる希望がわずかにあると考える。「会見の主催者は内閣記者会」という「建前」は、いまも温存されているからだ。
内閣記者会のみなさんには、よく考えてほしい。今、世間のメディア不信や記者クラブ批判がやまない理由がどこにあるのかを。