親しき仲にもスキャンダル
それは、この声明に同調圧力のようなものを感じるからでもある。声明にもあるように、これまでは「清濁」併せ呑む取材を重ねて情報を得るのがよい記者だった。鄧小平が言うところの「黒い猫でも白い猫でも、ネズミを捕るのがいい猫」というわけだが、今後は「白い猫としてネズミを捕る」ことが求められることになる。本人が白い猫であろうとする分には構わないが、「記者たるもの『白い猫』たれ」と同業者に求めるのはどうなのか。記者の倫理観の「清」と「濁」をそこまで峻別できるものだろうか。鄧小平はこうも言っているという。
「窓を開けば、新鮮な空気とともにハエも入ってくる」
つまるところ「文春砲」という呼び名が広まるスクープ連発期に『週刊文春』の編集長を務めた新谷学氏(現在は『週刊文春』編集局長)のモットーに行き着く。
「親しき仲にもスキャンダル」
あくまでも取材をするための手段として権力者なり取材対象者に取り入るのであって、親睦を深めることを目的とするのではない、ということだ。近づく材料は麻雀でもなんでもいいが、油断すれば即座に刺されるという緊張感が、記者の側にも権力者の側にも必要なのだろう。