まず1冊目は、萩原延壽著『遠い崖』という全14巻の大作です。この本の主役は幕末の1862年から英国公使館の通訳(当初は見習いの通訳生)として来日し、後に駐日英国公使にまでなったアーネスト・サトウです。25年にわたって日本で活躍したサトウの日記のほか、家族や知人らとの書簡、英国立公文書館の資料などを駆使して、サトウの動きを追うと同時に当時の日本や世界の様子を克明に綴っています。
例えば第二巻は薩英戦争、第六巻は大政奉還にまるまる充てられており、幕末から明治維新ごろの激動の日本を最前線で見届けた英国人の視点で、当時の日本を追体験できます。サトウは、19歳にして、まったく縁のない日本という異国の地に通訳生として赴き、驚くべき語学習得の能力を発揮します。そして2年後には和英辞典まで作ってしまいます。
やがて英国のいわば顔役として、西郷隆盛、勝海舟らと渡り合い、互いに影響を与え合う関係を築き上げます。その頃にサトウが新聞に発表した「英国策論」は、実際に西郷や勝らの構想にも影響を与えたと言われています。その当時、サトウはまだ20代前半でした。激動の幕末から明治維新にかけての重要なシーンには常にサトウが立ち会っていたと言っても過言ではありません。サトウが深い信頼関係を築いた西郷や勝らの国づくりへの熱い思いも伝わってきます。
今と比べれば、足りないものだらけの時代にあって、光り輝く人たちが活躍していました。他人に頼らず、自力で道を切り開く精神にみちあふれていました。
また、もうひとつ注目したいのは、当時の人々の柔軟な考え方です。例えば薩英戦争は、勃発からわずか1日半で英国海軍が引き揚げてしまいました。それを見て、他の藩は「薩摩は強い」と称えていました。しかし、当の薩摩は「英国に学ばねばいかん」と考えました。薩摩藩は、戦争で町を焼かれ、大きな屈辱を味わったにもかかわらず、憎悪に終わらせず、むしろ英国にも学ぶところがあると気づき、学びの機会としたのです。
早速、島津久光の意向で19人の有能な若者たちが集められ、幕府に内緒で、いわば密航の形で英国に送り込み、勉強をさせました。国禁を犯しての極秘プロジェクトだったのです。これを小説形式で丹念に書き上げた作品が、林望著『薩摩スチューデント、西へ』です。