事件の少し前にあった同窓会で、彼は私の友人に「仕事はとてもきついが面白くなってきた」とうれしそうに近況を語っていたという。第1希望の就職先に進み、付き合っていた恋人とも結婚の話が出ていた時期だった。生前の彼の人となりを知る全ての人々が冤罪であることを信じ、彼の死を悼んだ。

一度痴漢の烙印が押されてしまうと、無罪を証明することはわが国では極めて難しい。2007年に大ヒットした周防正行監督の映画「それでもボクはやってない」でも、痴漢冤罪の証明の困難さが描かれているので記憶にある読者も多いだろう。

満員電車で犯人を確実に特定できるのか

満員電車の中で身に覚えのない痴漢を示す“しるし”が体に押され、犯行の証拠だとされたらどうだろうか。絶望することは想像するにたやすい。そもそも、首都圏の立錐の余地もない満員電車で、果たして真犯人を確実に特定し、しるしを付けることが可能なのかは大いに疑問がある。

首都圏の満員電車を日常とする者はこの疑問を同様に抱くだろう。言い換えれば、首都圏以外の人にとっては満員電車の中で正確に犯人を捕らえる難しさは想像しにくい。

国土交通省が発表した「三大都市圏の主要区間の混雑率」(2017年度)によると、1位は東京メトロ東西線(木場―門前仲町間)の199%である。首都圏だけでも、150%以上のJR・私鉄各線が23区間並ぶ。関西地区のワーストは阪急神戸線の一部区間(147%)、そしてシヤチハタが本社を構える東海地区は名鉄本線の143%である。

混雑率は、改札を通過した人数を、その時間帯に運行される全列車の定員の合計で割った平均値で、実態よりも低く出る。現実には時間帯や、乗る車両によって混雑具合は数値よりも激しい。

国交省によると150%の混雑率は「肩が触れあう程度、広げて楽に新聞を読める」状態、200%の混雑率は「体が触れ合い、相当な圧迫感がある。しかし、週刊誌なら何とか読める」と示している。150%であれば、状況によっては犯人を特定できるかもしれない。しかし、200%になるとその確実性については疑わしい。

「推定無罪」の原則が揺らぐ恐れも

もう一つ疑問を持つ。スタンプを押す側の判断である。たまたま側に居た人に対して、外見が気持ち悪いから、暗そうだから、人相が悪いから、側に来られたくないから、臭いから、自分がむしゃくしゃしているからという理由で、誰かが誰かにスタンプを押すことは決してないのだろうか。常に正確な判断がなされているといえるのだろうか。

何の検証もないままに一方的に加害者の判を押され、有罪が確定するまではいかなる人も無罪として扱う推定無罪の法原則が侵害されてしまうことをどう考えるのか。そして、正しい理由なくして烙印を押された人たちの心の傷や、怒りや、その後の人生で受ける不都合や不利益について、痴漢撃退スタンプの製造者はどのように担保するのだろうか。

成人した息子を持つ母としても、通勤電車に乗る夫を持つ妻としても、そして多くの男性の教え子を抱える教員としても不安を覚える。