悲しきマウンティング・ゴリラたち

「僕は、いつも親に『なぜおまえはばかなんだ』と言われ続けてきたから、東大を首席で卒業しても、まだまだ自分はダメなんだって、不安なんです」

ムーギー・キム『あれ、私なんのために働いてるんだっけ? と思ったら読む 最高の生き方』(KADOKAWA)

こう語るのは、私のとある友人である。なんでも彼は、昔からあらゆるテストで1位を獲ってきたのに、それでも自己肯定感が低いというのだ。自分の価値を「勉強ができる」という点に置いているため、私との間で共通の知人を評するときも「あの人、でも、頭は悪いよね」「あの人が出た大学と学部、テストの点がよくなくても入れるよね」と、聞いていてこちらがしんどくなるくらい、人物評価の軸が、出身大学や入試難易度なのである。

このような不幸な思考パターンに陥っているエリートは、恐ろしく多い。やれ私は数学が得意だった、やれ私は世界有数の投資ファンド出身だ、やれ私は年収が何億だ、などなど、とにかく隙あらば“マウンティング”しにかかるのである。彼ら、彼女らがそれらをひけらかそうとするのは、ゴリラが胸をたたいて相手を威嚇するのと同様、「自分は優れていて価値があるぞ!」というパフォーマンスだ。

なお、ここでゴリラの名誉のために書いておくが、ジャングルに住む本当のゴリラは、いたずらに自分の力を見せつけるためにその胸をたたくことはない。敵や別のゴリラが近寄ってくるなど、自分の守るべき群れに脅威が迫った際にドラミングをする。大変な力持ちなのに普段はそれをひけらかさない、まさに見上げた霊長類なのだ。

それとは逆に、限られた基準で自分の価値をアピールし、必要もなしにマウンティングにかかる人間は、内心が不安でいっぱいだからその胸をたたいているのである。こうした悲しい習性を持つ人間を、私は“マウンティング・ゴリラ”と名付けた。

ビル・ゲイツは「人より金持ち」自慢をしない

さて、学歴や職歴や年収など、社会的に評価されがちな一部の価値観だけで自分および人の序列を決めようとする試みは、それ以外の要素に価値を置いていない価値観の貧しさの表れかもしれない。

何かの軸で自分のほうが「相対的に」優位に立っていることを確認しないと、自分の価値を自分で感じられないという、闇の深いコンプレックスの表れであるようにも思える。たとえばビル・ゲイツは「俺はジャック・マーより金持ちだ!」と自慢しないし、ウォーレン・バフェットは「俺はソロスより投資がうまい!」とアピールしないし、ホーキング博士は「私は人よりIQが高い」などと自分で言うことはなかった。