「道は常に一本ではない」と野口は語る。時には枝分かれする地点の前に立ち、選択を迫られることもあるし、遠回りをすることも少なくない。ただ大きな目標地点を分かっていれば、そうした局面は大した問題ではない。野口は現代の法医学の礎を築いた1人として、道なき道を自らの足で開拓してきた。

野口はさらに、目標に向かうために、物事をポジティブにとらえるよう心がけた。くよくよしてもいい結果は生まれないと考えていたからだ。

野口が初めてロスの空港に到着した時のことだ。空港の外で腕試しだと思ってアメリカ人に話しかけてみた。しかし英語が一切通じないばかりか、相手の言っていることすら理解できなかった。だがそんな体験をしても、落ち込むようなことはなかった。それは「大きな目標」を持っていたからだと野口は語る。英語はこれから話せるようになればいい。日本語を決して話さないように自分を追い込んだうえで、くじけそうになると「オレも男だ。大和魂だ」と思って自分を奮い立たせた。

日本では、英語の勉強をする際に「ネイティブのような英語」を重視したがる。以前、あるアメリカ人医師が、日本から研修などで訪れる日本人医師には、綺麗な英語を話せないからと無口でいる人が多いと言っていた。むしろ彼らの妻のほうが積極的に英語で会話しようとするというのだ。この医師は、日本で著名な医師らには「プライド」が邪魔しているのではないかと分析していたのを覚えている。

日本のビジネスマンにも、失敗を恐れて口数が少なくなってしまう人は少なくないだろう。もちろんネイティブのような発音が出来れば会話はよりスムーズだ。ただ野口に言わせれば、そんなことはあまり意識する必要はない。意見を発しないよりも、間違いながらでも話すほうがましだ、ということらしい。

それでも検視局長時代には記者会見やインタビューで話をすることが多かった野口は、自分の声をテレビやラジオで耳にするようになり、日本人訛りがある英語を気にした時期があった。しかし「これも私のキャラクターだと思った。そのほうがみんなの記憶に残るというものだ」と、ポジティブに考えるようになったと言う。

トーマス・T・野口
1927年福岡生まれ。1951年に日本医科大学を卒業、ローマリンダ大学を経て、1967年にロサンゼルス地区検視局長。全米監察医協会会長などを歴任し、検視局長時代から、南カリフォルニア大学、ローマリンダ大学で法病理学の講師を務める。1982年から南カリフォルニア大学で法病理学と死因捜査の教鞭を執り、1999年から南カリフォルニア大学法病理学名誉教授。現在、米医事法学会の理事会員、世界医事法学会会長、全米監察医協会国際関係委員会委員長、米科学捜査アカデミー国際関係委員など。
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