大人が子供を殺して食べた
まず、天明の大飢饉がどんな惨状をもたらしたかを知るために、農村の様子を記したい。江戸時代後期の旅行家で本草学者の菅江真澄が著した『楚堵賀浜風』には、津軽地方(青森県西部)のある村の状況が、概ね以下のように書かれている。天明5年(1785)に、田沼意知が惨殺された前年、および前々年が回想されたものだ。
この村には80軒ほどあるが、(農耕や運搬用の)馬の肉を食べなかったのは、我が家を入れて7~8軒もない。大雪の上に死んだ馬を置いておくと、女が大勢集まって菜包丁や魚包丁で肉のいい部分を争って切り取り、血が流れる腕にかかえて帰っていく。
路上に転がる遺体を犬が顔を突っ込んで食い歩き、血に染まった顔で吠えるのが恐ろしい。今年もこの凶作を上回るようなことになれば、蕨や葛の根も堀り尽くしたので、あざみの葉や女郎花を食べるしかない――。
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